初節句in広島 桜祭り2012
花盛り 梅の部 椎茸の菌打ち
明けましておめでとうございます。 年末、餅つき大会を開催しました
みんなでワイワイ門松作り 島美人の郷「長島」を訪ねて 一日旅行記
伊王島旅行記2011/9 星座観測会 星ヶ峯東小学校
茂頭の田圃で泥んこ遊び 夏目漱石 「草枕」をたどって
国東六郷満山の旅 星ヶ峯の桜祭り
藤川天神 臥竜梅 2月は行事がありません
宮島と山口の長門峡の紅葉 2010/11/21 星西成人学級の稲刈り 2010/10/23
壱岐という歴史の島に行って来ました2010/9/30 今年の星ヶ峯団地夏祭り 平成22年8月7日
広島にいってきました 星峯東校区 ソフトバレーボール大会
星ヶ峯西成人学級 泥んこ遊びと田植え 星ヶ峯ソフトボール大会→ソフトバレーボール大会へ
サザンガールズ グラフィティー 県下一週駅伝が始まりました
謹んで初春のお喜びを申し上げます この3日間は色々なことがありました!
飫肥・油津にいきました 高千穂峡の夜神楽を見てきました
サマーキャンプin阿久根大島   星ヶ峯団地夏祭りが盛大に開催されました!2009/8/1
「はじめ整骨院」が山田町にオープンしました。  星峯西の田植え 2009/6/20
尾鈴山と若山牧水 2009/6/13・14   星峯東グランドゴルフ大会 2009/5/31
熊本城と石橋群2009.5.6   「子育てサロン」開所式
平成21年3月14日広木駅開業!   2009 還暦&厄払い
2009鬼火たき    指宿一日旅行 篤姫
椎葉村の紅葉狩行 星峯西校区の成人学級の田植
長崎・嬉野・有田   「絆 歌謡、舞踊、ダンス、共催ショー」2008/9/7
星ヶ峯団地の夏祭りが開催されました。  星東校区のソフトバレーボール大会 2008/6/22
星峯西成人学級「泥んこ遊び」 
硫黄島釣行 2008/5/3・4・5 末っ子が熊本大学に入学しました。2008/4/4
メロディー橋の鉄琴を東小学校に移設 藤川天神に臥竜梅を見に行きました
星ヶ峯新春ジョギング大会が開催 菜の花マラソン サポーターチームに参加 
星東校区社会福祉協議会一日旅行 五木・人吉
桜会町内会の敬老会2007/9/17
九重連山登山 2007/8/6・7 おやじの会で鹿屋にキャンプに行きました2007/7/28
「せっぺとべ」がにぎやかに開催2007/6/10
都城東隣の山之口町の紫陽花公園は今花盛り
新幹線の線路工事着々と進行  2007/3/6・7
美味しい水を訪ねて(高隈山系編) 2007/2/12
初節句in広島                    
桜祭り2012

 TOPページの続きです。

宮島行きの7:05のフェリーで島に渡りました。早朝なのに大勢の人がのりこみました。満潮の海の中に大鳥居が佇立しています。 ご覧のとおり、残念ながら足場とテントに覆われています。修復は6月までかかるようです。 JRのフェリーは大鳥居のすぐそばまで近寄ってくれます。

 島に降り立ち、まだ閉められているお土産屋や食堂の立ち並ぶ通りを通ってゆくと、ショーウインドウに大きなしゃもじが飾られていました。 前回訪れた時には気づきませんでしたが、何とも大きなしゃもじです。これで一回すくうといったい何十人分のご飯が盛れるのだろう?

  一通り社殿等を見学したあと坂を上り、広場でシカと遊びながらもみじを抜けロープウェイの駅に向かいました。 見ると往復で1800円もかかるので、帰りは階段を歩いて降りることにして、ケチって片道だけ4人分4000円を払ってチケットを買いました。 下りは歩いておなかをすかせて、その差額はおいしい牡蠣料理につぎ込もうという算段です。(すみません。貧しいものですから!) 先週NHKで山頂巨石の様子など特番があったせいか、もう駅には多くの観光客が並んでいました。



 

ロープウエイに乗り込みいざ聖地 弥山(みせん)山頂へ! なんて意気込んでいますが、歩いて登るんではなくて乗り物であっという間に着くのですから、 ちょっとおおげさですか。ロープウエイは一度乗り換えがあり、獅子岩駅まで500m程度の高低差を一気に登っていきます。 瀬戸内海の眺望がすばらしく、1000円払ってもおつりがきますよ! 約15分ほどで獅子岩駅に到着です。





山頂に登る前に弥山本堂を見ることにしました。ここは弘法大使(空海)由来の地で、聖火堂があり1200年燃え続けているという囲炉裏があります。 カップルで来ると長くその縁(えにし)がつながるということで、恋人の聖地として人気のスポットになっています。 家内と来てしまいましたが、これはちょっと失敗だったと感じました。いまさらというかんじです! 煙の立つお堂を除くと、お坊さんが火の手入れ?をされていました。許可を得て写真を撮らせてもらいました。 でも(撮影時は)帽子を取りなさいと言われてしまいました。はい!弘法大使に拝礼!     













大きな囲炉裏にはまきがくべられ、大きな鉄瓶がかけられていました。 もっとぼうぼうと燃えているかと思いましたが、割と大人しく燃えていました。  

 ここから弥山山頂はもうすぐです。右回りに遊歩道を歩いていくと、周りがだんだん大きな岩だらけになってきました。 最初に不動明王の安置されている不動岩があり、すぐくぐり岩が見えてきました。下に階段が掘られくぐって登るようになっています。 ています。そこをくぐると山頂でした。未明の雨がすっかり止んで、空は真っ青、見下ろす瀬戸内海も真っ青になりました。  


桜祭り2012                    
桜祭り2012

 2012年ももう4月になりました。鹿児島は桜がそろそろ見ごろを迎えます。 31日の土曜日にソフトバレーボールのチームで夜桜花見を企画しました。 星ヶ峯の茶釜公園はこの時期2週間たくさんの提灯に灯りをつけて、この間だけは、お酒持込み、バーベキューコンロ持ち込みも開放してくれます。 忙しい時期で大人は10名程度でしたが、子供たちがたくさんついてきてくれたので、にぎやかなお花見になりました。

この日は朝から風が強く、夜の風と寒さが心配でしたが、夕方になるとぴたりやんでくれました。 5時半ごろから、コンロやいすやテーブルを持ち込み、設営にかかりました。6時になるとそろそろみんなやってきました。

今回はリクエストがあって、小生は広島風お好み焼きを任されました。 生地に山芋とエビを相当分量入れ過ぎてしまったせいか、生地が焼けても弱すぎて、裏返そうとするとすぐ崩れてしまいます。 何とか焼きそばと卵で形を整えて、みんなにふるまいました。子供たちはおいしそうに食べてくれました。   炭火で火がおとなしいので、焼けるのに時間がかかります。5枚も焼いたら1時間以上かかってしまいました。 おかげで飲む暇がありません。ところで、5月に孫の初節句で広島に行きます。 その時にはもう一度しっかり広島のお好み焼きをマスターしてきます。



  4月1日の日曜日は、星ヶ峯の東西校区の桜祭りが開催されました。 東校区の方は午前10時から、東町内会の公民館で開催されました。 こちらの方は室内で演芸会と町内会の役員の歓送迎会を兼ねたようなものです。それでも歌あり踊りあり、 手品ありとなかなかにぎやかです。写真はMさんを中心としたチームのバイオリン、ビオラ、チェロなどの室内管弦四重奏の演奏風景です。 この一年、ほんとにいろんな場面で協力していただきました。春らしい身近な曲を演奏してくださったので、 その方には疎い小生でも、うっとり聞き入っていました。



一方、西校区の方は午後1時からのスタートでした。早めに東校区が終わりましたので、誘い合って茶釜公園まで登ってみました。 桜は五分咲きでしょうか?でも大人も子どもも大勢集まってなかなか楽しそうです。 西校区の成人学級のみんなが、テーブルを囲んでお酒を楽しんでいるところに潜り込んで、ただ酒をいただきました。 昨夕から今日の午前中まで桜を楽しむ暇もなかったので、キャンピングチェアーにドサッと腰掛けて、 缶ビールをプシュッと開けて、ごくごくと飲んで、そして見上げた桜がとてもきれいでした!






花盛り 梅の部                       
花盛り 梅の部

 2月末になるとあちこちから梅の便りが聞かれ始めます。昨年訪問した薩摩川内市の東郷町の藤川天神に、また行ってみようと思い立ちました。 2月29日の水曜日、妹と家内を誘い、朝10時頃、車で出発しました。

   お天気は曇り日和です。二、三日割と暖かい日が続きましたので、そろそろいい状態かなの期待していったのですが、 まだ満開というわけにはいかず、白梅は八部咲きでしたが、肝心の紅梅の方は2本だけが五分咲きというところだったでしょうか。 来年こそは満開に合わせて行こうと思います。でも前の日も雨、次の木曜日も雨で、この日だけが曇り日和だったので、 結構お天気男なんですよ、私は!    

 平日というのに結構な人出でした。もっとも年配の方々が多かったですけどね。 我々もさっそく白梅の木の下に陣取りお弁当を広げました。 もしかすると、去年同様、梅の花はあまり咲いていないかと思って、今回のお弁当は「梅の花の海苔巻」にしました。 咲いてない場合の保険です。 芯の卵焼きが丸くなっていませんが、かわいいランチが出来上がりました。





  出店が並び、野菜やお菓子などが売っています。お宮参りを済ませた後のもう一つの楽しみです。 そば粉と小豆とニッキの根を買いました。ニッキ(シナモン)は焼酎に入れておくと琥珀色になっておいしくなるということで、 現在、泡盛の入っていたカメにニッキをいれて、黒霧島の焼酎を入れておいています。3週間たちましたが、しっかりウイスキー色に なってしまいました。風味もよいようです。 帰路、近くの道の駅に寄って、紅梅の鉢物も買いました。一週間、紅梅をしっかり楽しみました。 



藤川天神の紅梅は満開にはほど遠く物足りなかったので(無理に誘った妹にも申し訳なく) 「今が満開!」とインターネットで検索した、川内は水引の「枝垂れ梅」を探すことにしました。 東郷から川内の街に出て、3号線を北上し10分くらい走ったところに、水引小学校があります。 小学校を右に入って、狭い道をしばらく行くと、左手にピンク色に染まった家が見えました。 10数人の先客が枝垂れ梅を楽しんでいました。一般の個人宅なんですが、こんなにして庭を開放してくれています。 京都の由緒正しい?梅を鹿児島に持ってきて丹精込めて育て上げてこられたようです。 機会があったら是非ぜひ見にいかれてください。




椎茸の菌打ち
椎茸の菌打ち

 今日は2月26日の日曜日。朝ゆっくり寝とこうかと思いましたが、9時から星峯東小学校で、 おやじの会のみんなで椎茸の菌の接種作業を行うことになっているのを思い出しました。 もっとも、思い出さなくても8時45分に宇治野さんから、「誰もまだ来ていないから 早くおいで!」と携帯に電話がありました。 急いで小学校に行くとおやじの会の会長だけは到着していました。

宇治野さんの2トントラックにクヌギの木が山積みに積まれていました。 宇治野さんがわざわざ川辺の山から切り出してきたのだそうです。 クヌギはドングリの木ですよね。山の動物の食を支えている木ですね! リスや熊など! もっとも九州育ちの私は、 山ではリスも熊もみたことがありません。よく見るのはイノシシ。この動物もドングリは好きそうです。 また、この木は幹から樹脂が出てくるので夏にはカブトムシやクワガタが集まってくる木でもあります。    

 電気ドリルでクヌギの木に穴を開けて、それに椎茸の菌を打ち込んでいきます。写真の箱の中がその菌です。 ペレット状の木に菌を植え込んだ種駒をトンカチでその穴に打ち込んでいきます。子供たちが喜んで作業をしてくれました。 大きな木には20か所ほど、細い木には10か所ほど打ち込んでいきます。 こうして置くと菌がクヌギの木の中に網目状に入り込んでいくそうです。そうして菌は自分の巣を作り上げていくのですね。



   入来会長が実家にあったと菌打ちのトンカチ様の工具を持ってきていました。 トンカチの先に筒状の刃物が飛び出してついていて、そこを木にたたきつけると穴をくりぬくことができます。 くりぬかれた木屑はペレット状にトンカチの横の穴から飛び出してきます。これが面白いです。 写真ではわかりにくいですが、その工具で穴を開けているところです。



 菌を打ち込んだ大きな木は、学校の裏に重ねて、寒冷紗をかけておきました。 小さな木は出席した方々に配って自宅で椎茸栽培に挑戦してもらうことになりました。 これから3か月、西日の当たらない木陰に寝かせておくそうです。 5月末になったら組んで立てるといいということです。 うまくいけば2夏過ぎた秋には椎茸がにょきにょき出てくるそうです。来年の秋はこれでキノコ鍋です!




皆様!明けましておめでとうございます
皆様!明けましておめでとうございます

1月7日の土曜日午後2時から、12月に切り出して東小学校においてあった孟宗竹を組んで鬼火たきの櫓(やぐら)を組み上げました。 この日これ以上無いくらいの穏やかな七草の日で、朝から雲一つ見つけることが出来ませんでした。もう20数年来のキャリアのある この行事です。おやじの会の皆も手慣れたもので、それぞれが自分のやるべき事をわかっていて、あっという間に櫓ができあがりました。 私はすることが無くなって、キャップ用のバーベキューコンロやアルミテーブルをセッティングして夜の準備に入りました。 これで23日にみんなで石臼でついた餅を焼いて食べるのが恒例なのです。もちろん餅だけじゃないんですけど!

 写真をご覧いただければ如何にいいお天気だったかわかります。東の方に雲みたいに見えるのは、雲じゃありません。これは桜島の噴煙です。 何か”昇り竜”の様に思えませんか!!桜島も新年をお祝いしてくれているようです。    





   





   



午後6時、あいご会長や担当のT先生が子どもたちに鬼火たきの由来や注意事項を説明した後、 こどもたちと年男・女たちがたいまつで一斉に火をつけます。「どうか、星ヶ峯のみんなが健康で、幸せな一年がおくれますように!」 と祈って鬼火たきが始まりました。櫓(やぐら)の中には校庭の剪定された大量の木の枝やお正月飾りが放り込まれ、あっという間に 無風の夕暮れの空に高く炎が燃え上がりました。





    これも竜に見えませんか? ちょっと怖い竜(ドラゴン)のようです。鬼火たきは厄払いですから、ちょっと怖いのが当たり前 なんです! 北国の伝統文化の「なまはげ」もそうだし、仁王様もいかにも怖そうですよね!


年末餅つき大会を開催しました
年末、餅つき大会を開催しました

    12月23日、星東小学校で餅つき大会を開催しました。朝からとてもいいお天気で大勢の方が集まりました。  今回は星東校区あいご会と社協とおやじの会が共催です。123名で名簿が無くなり、記帳をやめましたが、 実際の参加者は150名を超えていたと思われます。 

 おやじの会のメンバーが早朝から準備に入り、大きな三つのガスコンロを並べ、昨夕から洗って水につけてあった餅米を蒸し器で蒸します。 蒸し上がった頃に子どもたちが三々五々集まってきました。予定より早いのですが9時30分に2基の石臼で餅をつき始めました。 「すばるお楽しみ会」のみなさんも大勢駆けつけてくださって、餅の分割・成形の部門を手伝ってくださいました。

  つきあがったお餅は、最初は手作りの小豆あんと芋あんで「あんころもち」にして子どもたちに振る舞います。 あっという間に200個ほどのあんこ餅が無くなってしまいました。この後は2基のバーベキューコンロで丸餅を焼いて食べます。 みんな美味しそうに頬張ってくれます。

一段落したところで、学校に飾る重ね餅を作り、後は年が明けて1月7日の「鬼火たき」の時におやじの会で食べる餅を “のし餅”にしてとっておきます。





 1時近くになると子どもたちも潮が引くようにいなくなり、ようやく我々の時間です。 残してあったあんこでぜんざいをこさえ、大人のスタッフに振る舞いました。 最後は親父の会のメンバーだけが残り、どうせ家に帰ってもお昼ご飯はきっと残っていないので、 近くのストアからお肉やキノコや魚の干物など買ってきてバーベキューコンロでこれを昼ご飯代わりに焼き始めました。 皆に振る舞い、自分も口にして、ようやく人心地がつきました。子どもたち喜んでくれたかな?  


 みんなでワイワイ門松作り
みんなでワイワイ門松作り 

 12月18日の日曜日おやじの会のメンバーを中心に、1月7日に行われる鬼火たきの準備のために竹の切り出しを行いました。 素晴らしいお天気です。小竹班と孟宗竹班に分かれ、前者はあいご会や子どもたちをメインに、我々おやじの会は2トントラック2台を先頭に、 五ヶ別府は茂頭の竹林に向かいました。20本ばかりの孟宗竹を切り出すのですが、竹山は荒れていて、枯れ竹が縦横に倒れ、 このままでは切り出せません。まずは倒れた枯れ竹と、立ち枯れの竹を切り出し、竹山を片づけました。 山の持ち主は相当助かったはずです。あまりきれいになり、「来年の竹の子泥棒がちょっと心配!」といわせるほど、 竹山の通路が入りやすくなりました。

 切った竹を東小学校に運びその後正門と通用門に2対の門松を作りました。私の役目は門松の材料揃えです。 竹山のオーナーに頼んでご実家から南天の枝をもらい、別な所から梅の枝を貰い、松は広木駅の上の斜面に生えた松の枝を頂きました。(かってに) 材料を揃えて、東小に帰ってみるとお茶の準備がしてありました。朝から飲まず食わずでお腹ぺこぺこです。 U嬢がいつも作って持ってきてくださる、手作りの「ふくれ菓子」とパウンドケーキ?をほおばりました。これがいつもとても美味しいんです。 今回、ケーブルテレビの取材があり、女性の方が星峯中学校、西小学校、東小学校の門松作成の様子をカメラで撮影に来られました。 この方、実は前日の中央公民館であったイベントの撮影にも来られていました。 私も友人に頼まれて写真撮影をしていましたので、彼女を撮影していたのです。 そのことがお互いわかって話が弾みました。その後で彼女のインタビューを受けてしまい、ケーブルテレビで放映されそうです。 困りました。 




島美人の郷「長島」を訪ねて 一日旅行記 
島美人の郷「長島」を訪ねて 一日ふれあい旅行 

                              11月6日(日)、星ヶ峯東校区の社会福祉協議会で恒例の一日旅行をお呼びかけしたところ、 バス2台、計82名(小学生4名)の参加者がありました。

 午前八時出発。この日の朝はあいにくの雨模様で、途中の川内あたりでは、空がにわかに薄暗くなり大粒の雨が降り始めました。 心配しましたが、それでも黒の瀬戸大橋に着く9時30分頃には雨もどうにか上がりました。 バスは一路「鷹巣の針尾公園」に向かいます。狭い道を大型バス2台がやっと昇っていきます。 小高い丘の上の公園に着くと、眼下に伊唐大橋とそれに続く伊唐島が広がります。 その先には不知火海が続き、全てが茫としてかすんでいます。 穏やかな海には、ぶりの養殖のいけすが、入り江をすっかり覆うように設置されています。

 次の目的地はマンダリンセンター! ここ長島は温州みかんの発祥の地で、この展示館の中には温州ミカン2代目の枯木が飾られていました。 少し霧雨が残っていましたが、ここの横に隣接したミカン園でミカン狩りも楽しみました。 園内は食べ放題で、大粒のミカンを7個も食べました。

 昼食は「太陽の里」ここには「東泉望」という温泉もあり、希望の方は温泉に入って頂きました。 この温泉は湯船に浸かりながら不知火海が東方に見渡せます。元旦に朝風呂に入っていると何とも気持ちのいい初日が見られるとのことです。

 

この日、運のいいことに、すぐ近くの会場で「ながしま造形美術展」が開催されていました。 後で寄ってみると、大がかりなモニュメントがずらりと並んでいました。 一つひとつが見応えのある作品ばかりで、すごく得した感じでした。カメラのシャッターを夢中で押し続けましたよ! 二年に一度開催されるようです。今回はラッキーでした。30分ほどしか時間がなかったので、ゆっくり見ることはできなかったのですが、 しっかり鑑賞するにはたっぷり2〜3時間はかかりそうです。 これのためばかりに訪問してもいいくらいです。是非、2年後に皆さまもどうぞ訪れてください。



同じ公園の敷地内に、長島温州みかん発祥の地の大きな石碑がありました。ここに勝手に温州みかんが生えてきたのだそうです。 多分中国南部から持ってきて食べた種をぺっと吐き出したのが実生として生えてきたのか、こっそり苗を持ってきてここにうえたのでしょう。 とにかくあまーい日本の温州ミカンはここからスタートしたのです。

お昼からは焼酎「島美人」の製造工場「杉本酒造」を見学しました。講話の後、工場見学そして焼酎の試飲もしっかり楽しみました。

 バスの中から、東シナ海に沈む夕日を名残惜しみながら帰路につきました。 もちろん、今夕の晩酌用の焼酎「島娘」を一本、小脇にかかえて! 




伊王島 旅行記 
長崎市 伊王島に行ってきました 

 9月28日・29日の二日間、とあるボランテイア組織のみんなと長崎湾の出口にある伊王島と言うところに行って来ました。 長崎の市街地からバスで30〜40分も走ると島があります。今年の3月に島に大きな橋が架かり、フェリーを使わずバスで渡ることが出来るようになりました。 ここは島が一つのホテルの感があります。長崎温泉やすらぎ伊王島のホテル群が立ち並びます。この日はここに一泊でした。  ただ修学旅行とぶつかり一般のホテルの部屋は5月から満室で、我々はオリーブ畑の中にあるロッジでの宿泊になりました。



朝7時に鹿児島を出発し、長崎にはお昼前に到着しました。昼食後諫早の特別養護老人ホームで研修がありました。 この種の研修にしてはなかなか楽しい研修でしたが、終わって長崎の町に入り少し観光しようとしましたが、なかなか時間がとれません。 参加者は長崎はもう何度も行ったと言う方が多かったので、グラバー亭、平和公園、大浦天主堂などのメインスポットはさけて、シーボルト館と風頭公園に昇り、 龍馬の像や亀山社中の二つに絞って観光することにしました。詳しくは今週中に「日記」の方に書き込んでいきます。 ただ今日明日木曜と金曜は霧島ロイヤルホテルと言うところで研修がありますので週末からの書き込みになりそうです。 




伊王島 旅行記 
伊王島 旅行記 

 9月28・29日の二日間で長崎に研修旅行に行ったことはTOPページで話しました。 お昼前に長崎に到着した我々は、少し早い昼食をとりそして諫早で研修を終えた後、長崎の市街地に3時前に入りました。

 仲間たち”長崎へはもう何度も行きましたよ!”ということで、グラバー邸や原爆記念館、 大浦天主堂等は[もういいよ!」と宣言されました。そこで思いついたのが、シーボルト記念館と亀山社中のウォークラリーです。       

 シーボルト記念館では、マイクロバスは電車通りから中には入れず、我々は狭い小路を5〜6百メーターも歩かされます。 館は鳴滝高校のそばに佇立していました。 「あっそうだ!シーボルトの作った蘭学塾の名は「鳴滝塾」だったっけ?高校にその名が今も残されているんだな!」 変なところで感心してしまいました。鳴滝塾跡の小さな公園にシーボルトの胸像がたっています。 そこを通って入館です。入館料は団体割引を使ってたった80円。何となく申し訳ない気持ちです。    

 日本地図を海外に持ち出そうとして大問題になったシーボルト事件は、歴史の教科書の片隅に小さく取り上げられていた記憶がありますが、 このシーボルトはこよなく日本という国を愛してくれた外国人の一人だったのかもしれません。あのラフカディオハーン(小泉八雲)のように! 彼は国外追放された後、広く西洋に日本の文物を紹介してくれました。 ‘黄金の国ヤーパン’というベールに包まれた国をもっと親しいものに変えてくれたのです。 この後の明治開国の海外交渉に随分貢献してくれたのかもしれませんね。 また日本妻‘お瀧さん’のエピソードはきっと有名な話で、ヨーロッパに帰った彼はお瀧さんのことが忘れられず、 持ち帰ったアジサイに‘オタクサ’となずけて紹介したことなどいい話ですね。彼は晩年また来日し、お瀧さんと娘のお稲さんに再会したそうです。 展示館では大事な他のことはそっちのけで、3人にまつわることだけ一生懸命探していたような気がします。

いよいよ風頭公園と亀山社中です。龍馬伝で一躍脚光を浴び始めたこの観光スポットですが、 きつーい坂の途中にあり狭い階段を登っていかないとたどり着けません。 そこで我々はマイクロバスを風頭公園のバス停まで走って登ってもらい(離合もスイッチターンも大変です!)そこで降りました。バスは引き返して 眼鏡橋近辺の電車通りで待って貰うことにしました。たぶん2km程度のウォークラリーになりそうです。

 風頭公園には、司馬遼太郎の「龍馬がゆく」の文学記念碑と龍馬の立像が佇立しています。大きい立像です。 我々は大はしゃぎでシャッターをパチパチ押し続けました。ここからは長崎市街地と長崎湾が見渡せます。 この日靄っぽくて街全体が少しくすんでいました。恋人と一緒なら何時までもここにいたいような素敵な場所でしたが、 そんな歳でもないし、繊細な感性とは対岸にある我々の集団ですし、時間も無いので次の亀山社中に向かいました。

みなさん亀山社中と海援隊とどちらが先でどういう関係にあるか認識しています? 私も一生懸命龍馬伝見ていたのに、ここの研修に来るので色々資料を作る際にようやく初めて認識しました。 「海援隊って武田哲矢が結成したんでしょう?」ってばかなことはいわないでください。 亀山社中のHPを見ると「勝海舟が、薩摩藩の西郷隆盛に龍馬たちの世話を頼み、慶応元年(1865)、長崎に亀山社中を設立し、 龍馬たちに運営をまかせました。慶応3年(1867)4月、亀山社中は、龍馬が脱藩罪を許されたため土佐藩が引き継ぎ、 場所も隊員もそのままで海援隊となり、海援隊規約をきめ、船印として赤白赤の旗も決めました。」とあります。 亀山社中が先で、今風に言うと、これには薩摩藩の資本が入り、海援隊はその後土佐藩の資本が入ったと言うことでしょう!

 風頭公園から狭い階段を6〜7分下ると、やっと亀山社中に着きました。狭い小さな家でした。ここに大の大人が大勢暮らしたとも思えませんので、 きっと今で言うと店舗だったのでしょうか?(勝手な憶測です。)中にはいつも見る龍馬の写真像がかかっていました。他人の写真とは思えません。 平日なのに結構訪問客が多かったですよ!





 亀山社中をほんの少し下ったところに、龍馬のブーツのモニュメントがありました。鹿児島じゃ絶対なさそうなモニュメントです。 写真を撮ろうとしたらそこにいた観光客が遠慮して除けようとしたので「一緒に入ってください。」といったらポーズまでとってくれました。 見ず知らずの方ですが、なんかうれしいですね!





急な坂道の最後で鳥居をくぐるとやっと町中に降りてきました。狭い川があります。ここに眼鏡橋がかかっているようです。 バスで側を通ってとお願いしてありましたが、狭いので運転手さんがいやがります。今回は、結構わがままな運転手さんでした。 川沿いに昔の写真機のモニュメントがあります。案内板には上野写真館跡と書かれています。きっと龍馬のあの写真はここで撮られたのでしょう。

 時間も5時を回ってしまい、日も傾き始めました。街も車が増え混み始めました。伊王島まで小一時間はかかりそうです。 いそがなくては!




星峯東小学校で星座観測会
星峯東小星座観測会 

 8月28日(日)に星峯東小学校で星座観測会があるというので、偵察に行って来ました。

午後7時半に学校に着くと、そろそろ子どもたちも集まってきていました。体育館でO氏にあい、あいさつを交わしたら、「望遠鏡で 土星がみえますよ!」と教えて貰い、校庭に駆け出しました。望遠鏡が2台設置されていて、一台は土星をねらっていました。 ホントに久しぶりに土星の輪を見ることが出来ました。

 もう10年前のことでしょうか?火星の大接近があって、「成人学級」と「おやじの会」とあいご会の合同で、星の観察会を開催して、 今日みたいに科学館から先生をお招きして、望遠鏡で火星を観察したことがありました。200人以上の子どもたちが集まって、 楽しい夕べを過ごしたことがありました。あれ以来の観察会です。今夜も良く晴れています。

 体育館でプロジェクターのスライドショーを使っての星座の説明が20分ほどあって、その後校庭に出て実際に望遠鏡で土星を見て、 星座表などを使っての星の観測が始まりました。

土星は西の地平線近くに光っています。左横に光っている1等星は、乙女座のα星「スピカ」 でした。8月の後半の夕暮れは、春の星座「おとめ座」はもう西の空から沈もうとしています。  天井には「こと座」のベガが、天の川を挟んでアルタイル(牽牛)、天の川の真ん中にははくちょう座のデネブが輝き夏の大三角形をなしています。 南の空には射手座とさそり座を見ることが出来ました。周りが明るいのに結構星が見えています。さすがに天の川はよう見えません。 今度夜釣りに星座表を持参しよう!




茂頭の田圃の泥んこ遊び
鰻丼大会 ー 星西成人学級 

 6月11日(土)は土砂降り!星西成人学級で予定していた茂頭の田圃の泥んこ遊びは、急きょ西小学校の公民館周りで、 うなぎ掴みと鰻丼大会だけが実施されました。
 雨なのに子どもたちが23〜4名も集まっていました。 午前10時、時間通りに到着したのにもうみんな集まっていて、幼児用のプールにウナギを放し、ウナギ掴みに興じていました。

 一方では大人たちはといえば、捕まえてきたウナギを料理台でさばいて、ウナギのカバ焼きを作り始めていました。 3年ほど前からプロが来て、電気を通してウナギを気絶させてからさばいています。この方法だとウナギがくねくねとのたうつ事がないので、 すごくスピードが速くなります。 

 本日の私の役割はタレづくりです。醤油1000cc、酒1000cc、本みりん適量、ショウガとニンニクを混ぜて炊きあげるだけです。 先日、紫原のN氏の畑から掘り出してきたニンニクがいっぱいあったのでこれを持ってきて、たっぷり入れすぎたので、残ったタレを、夜、家内が見て、 「ニンニクくさい! 入れすぎ!」と騒いでいました。でも現場ではクレームは無く、「今回は美味しいよ!」みんなが言ってくれました。 でも沢山入れればいいということではないなと反省しています。  



 ウナギの蒲焼きが焼き上がり、ごはんも炊きあがり、みなで鰻丼を食べました。 若いお母さんが「うちの子は家ではウナギ食べないのに!」とびっくりしていました。 みんなと一緒に食べるおいしさ!は格別です。嫌いな物も好きになりそう。 それに、わざわざ本場大隅の肝属に行って購入してきて、 活きたウナギを目の前でさばいて、焼き上げて、まがい物をいっさい入れないタレにつけて、すぐ食べるウナギと、 スーパーで買ってきたウナギの蒲焼きと、一緒にされても困ります!という自負もあります! まあ子どもたちにもてあそばれて、ストレスで毒素が溜まった?ウナギというデメリットもありますが!





夏目漱石 「草枕」をたどって
夏目漱石 「草枕」をたどって

 今回の大型連休は、妹夫婦と息子の広樹君と4名で、3日は熊本から金峰山、玉名の小天温泉へ「漱石草枕の旅」をたどり、久留米に宿泊し、 4日は久留米を早朝に出発し、大分国東半島の古寺巡り、最後は安心院のワイナリーと温泉を楽しみました。

3日朝、6時半に明和の鶴田宅を出発。高速道路が込まないうちに熊本に着きたいと言う魂胆でしたが、 連休の高速道路は何があるかわかりません。早朝に事故があったらしく、人吉を過ぎたところで10キロの渋滞、 熊本の夏目漱石の坪井記念館に着いたのは12時を回ってしまいました。 

 四日の朝は快調に国東に到着しました。杵築から大分空港周りで、別府湾を右に見ながら時計と反対周りに半周し、 富来港から富くじロードをとばしお山に入り込み、古寺巡りが始まりました。 古式ゆかしき神仏習合の郷 「国東六郷満山」は見応えがありました。 今世界遺産登録を目指して頑張っているそうです。 行っていない方、四国霊場巡りは遠いですから、まずは国東巡礼の旅は如何?

  

 詳しくは、順次、写真を交えてご紹介いたします。

旅の初日のテーマは「草枕」! 小説「草枕」(もしかして紀行文?)の跡をたどって、熊本市街を手始めに、西へ金峰山そして小天温泉へとルートをとりました。 高速道路の通行止めで、12時過ぎにようやく熊本市内に入った我々は、 まず熊本城のすぐ北に位置する坪井旧居(夏目漱石 熊本五高時代5番目の住居)の記念館を探し入館しました。 とりあえず妹親子への漱石のレクチャーのつもりでした。私が色々説明するよりも”一見は百聞にしかず”記念館を見て貰った方が早いですよね。 ここはとてもきれいに手入れされた古い邸宅でした。五高時代の資料があまた並べられていました。 漱石の家族の記念写真が飾ってありましたが結構大家族だったのですね! また物理学者で随筆家の寺田寅彦は漱石の教え子だったようです! 

ここは時間が余りとれず、わずか1時間弱の見学でした。もっとゆっくり見ていたそうな妹夫婦をせき立てて、記念館を後にしました。 みなさん!熊本にお越しの際は、是非、熊本城だけでなくここまで足をのばしていただけたらと思います。 すぐ近くです。また熊本城近くにいくつか漱石旧居があるそうです。是非是非さがしてみてください。 名作「草枕」「二百十日」「三四郎」などは、ここ熊本での体験が元になっているようです。  

 漱石の書斎で漱石と並んで記念撮影です。さあこれから「草枕」の旅に出発です。 小生にとっても初めてのルートでとても楽しみです。外は少し霧雨が降り出してきました。 確か草枕の中でも、漱石が峠の茶屋に着く頃から雨が降り出したので、まさに「草枕」探訪の旅にうってつけのお天気というところでしょう!
 草枕の冒頭は
   ・・・ 山路を登りながら、こう考えた。  智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。  住みにくさが高じると、安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生れて、画が出来る。 ・・・
で始まります。

 我々は車に乗って金峰山へ、峠の茶屋まで、漱石が何時間も掛けて登ったところを、わずか20分足らずで上ってしまいました。

 ・・・ 「おい」と声を掛けたが返事がない。  軒下から奥を覗くと煤けた障子が立て切ってある。向う側は見えない。 五六足の草鞋が淋しそうに庇から吊されて、屈托気にふらりふらりと揺れる。 下に駄菓子の箱が三つばかり並んで、そばに五厘銭と文久銭が散らばっている。 ・・・

 雨の峠の茶屋には、軒先に小説どおりにわらじが数対掛けてありました。(おばあさんは出てこなかったけど!)
 ここの下にある現在の茶屋で甘酒と「いきなり団子」を昼食代わりに食べました。 お腹の虫がやっと落ち着いて余裕が出来た我々は、せっかくだからとすぐ近くの金峰山の登山口に入り、車を置き、登山道の階段を上っていきました。 山道には道ばたにスミレやタンポポがあちこち咲いていました。妹が白いタンポポを見つけ、「めずらしー!」と歓声を上げていました。
 歩くこと10分程で山頂に到着。山頂にはテレビ塔が何本も立っています。古いお社があります。 そこの展望台から東には熊本城下、西には有明海、その向こうには雲仙普賢岳がそびえているのでしょうが、この日は霧に包まれ、 わずかに有明海の波打ち際と海苔の養殖場の筏がかすかに見えるだけでした。  

 ここから天水の小天温泉までいっきに下り、一帯がみかん山の中に小天温泉センターをようやく探して、そこでゆったりと温泉を楽しみました。 残念ながら湯船の湯気の向こうに那美さんの色っぽい入浴姿はあらわれませんでしたが!

 この夜は甥っ子の都合で久留米泊まり。ホテルの近くの居酒屋で妹の旦那と二人明日の英気を養いました。  


 

国東六郷満山の旅
国東六郷満山の旅

 旅の二日目は大分国東が次の目的地です。 久留米の宿で、朝七時に早い朝食を済ませ、一路高速大分道を国東にむかいました。 1時間半ほど走り、由布岳の下のパーキングエリアで小休止。この日は雲はないのですが、少し黄砂で視程が良くありません。 それでも由布岳は凛々しい姿で我々を迎えてくれました。時間があれば山頂をめざしたかったのですが! 車は杵築の町を右手に見ながら進みます。時間は丁度10時でした。高速を降りるとすぐに大分空港が右手にありました。 ここはもう国東市武蔵町です。





   まずは最初の目的地「安国寺」に10時20分に到着しました。 足利尊氏由来のお寺です。「尊氏公は、夢窓疎石の勧めで南北朝の争乱に殉じた人々の霊を供養するため、全国六十余州に安国寺利生塔を建立し、 その筆頭に丹波安国寺を置き京都十刹の寺格を得て、丹波、越後、日向等全国に荘園を領し、一時は塔頭十六、支院二十八を持ち繁栄しました。」 昨年訪れた壱岐の島にもありました。大体は臨済宗や曹洞宗などの禅寺のようです。不思議に懐かしい雰囲気です。

 門を出て、桜の木の下に山頭火の歌碑を見つけました。しばらく見入っていると、お寺の奥様らしき方が、 山頭火のことや近くに並ぶ歌碑群を案内してくださいました。 山頭火は山口生まれではありますが、確か熊本下通りに文房具屋を開いて、熊本を中心に俳句活動を展開したと記憶しています。 今回の旅のテーマの一つは「熊本の文学」でもありましたので、何か嬉しい発見をした気がしました。 きっと彼はこの周辺に長く滞在して、有志を集め俳句道を説いたのだろうと思います。
  歌碑には「日暮れて 耕す人の 陰濃し」と書かれていました。

寺の下の道沿いに藤棚が作られていて、今を盛りに咲き誇っていました。妹夫婦はその藤棚の下でいたくご満悦でした。 このお寺本当に良く手入れが行き届き、古刹にしては明るすぎるくらいの雰囲気です。 管理しておられるご住職のお人柄が何となく偲ばれます。









 安国寺をもう少し東に走ると富来港があります。ここから文殊仙寺までの道を「開運ロードとみくじ」といい、 なんとも縁起のいい道のようです。夏のドリームジャンボをねらってここを是非走りたいと思っていました。

港に着くとまず目に入ったのが宝船でした。 県道213号から海に折れ、一つ目の橋が「願い橋かない橋」、二つ目が「とみく開運橋」、この開運橋に写真の宝船のモニュメントが飾られています。 今回は食べる暇が無かったですけど、この港で「国東銀たち(魚)」「国東姫たこ」が水揚げされて、我々の胃袋を楽しませてくれます。 近くの小さな公園に招き猫のモニュメントを発見しました。妹は本当に嬉しそうにその猫の頭をなでていました。

この猫の名前「マネー来猫」だそうです。  さあ、時間がありません。なんとしても予定している寺院はすべてみて、3時までには安心院(あじむ)のワイナリーに着かないと、ワインの無料試飲が出来ません。 先を急がなくては!   



 



国東六郷満山の旅 その2 

 開運ロードを西に昇り、文殊仙寺に向かいました。山道に入り20分も走ると、文殊仙寺につきました。 ここは「三人寄れば文殊の知恵」の発祥の地だそうです。急な階段を登ってやっと本堂につきました。  お堂の半分は岩壁に埋もれています。

 近くに洞穴が穿たれ、その中に役行者が安置されていました。 役行者は7世紀に実在した役小角(えんのおづの)という人物で、大和の葛城山辺りで修験道の修業をしていたが、 「日本霊異記」に記載されて、この不思議な男の話が、面白く語られています。

 「役小角。生まれも没した年の不詳のこの人物は、現在では山伏の元祖としてよく取り上げられることが多い。この人物は、賀茂氏の出とされ、 幼い頃から物覚えがよく、呪術を使った。
 文武三年(699)に、金峯山と葛城山に橋を架けようとしたが、それに困り果てた「一言主」(ひとことぬし)という地の神さまが、 人の口を借りて「役小角は天皇を滅ぼそうとしている」と陰口を言ったらしい。 それに怒った文武天皇は、彼を捕まえようとしたが、呪術を使うので簡単にはいかない。 そこで彼の母を捕まえたら、彼は素直に縄について、伊豆に流された。しかしこの人物は転んでも只で起きるような人物ではない。 昼は命令に従って伊豆に居たが、夜になると富士山に登って修行をした。 三年の月日が経ち、ついに彼は恩赦を受けて大宝三年(701)に都に帰されることになったが、 その時は、孔雀王の呪教を修めて仙人となり、空を飛ぶようになったというのである。」
とネットで書かれていました。


まあ簡単に紹介するとどうも山岳信仰の元祖見たいな方のようです。だからこの国東の修験道の地でもこうして像が残されているのでしょう。 とりあえずワンカット撮っておきました。







  本堂から少し離れて鐘つき堂がありました。昇ってみると、好きに鐘をついてよいと書いてありました。 うれしいですね!

妹夫婦は(きっとかなり欲張りな)願いを込めて二人で鐘をついていました。 もちろん小生も鐘をつきました。

さて、あまり時間もありません。次は国東の中心的仏寺「両子寺」です。先を急いで急な階段を駆け下りました。 



「両子寺」(ふたごじ)はさすがに国東六郷満山の総持院だけあって、規模も大きく荘厳な雰囲気のお寺でした。 まずは無明橋を渡ると2基の仁王像が出迎えてくれます。長い石段の途中に山門がありそれをくぐりしばらく歩くと護摩堂があります。 そのほかにも書院、大講堂、稲荷堂、大黒天堂、一番山頂近くには奥の院が置かれています。 写真はその護摩堂です。 







 護摩堂の奥に石碑があり、現代人のレリーフが貼り付けられています。どこかで見たような?と近付いてみたら、 金田一京助先生の顔でした。あの国語辞典の先生です。歌碑には
   「山川の音は 父母の愛にも似て かれることなく たゆることなし」 と記されていました。

 またその横にもう一つ歌碑があり、 先の句を受けて

  「山川の 瀬音の中に身をおけば 亡き父我を諭す声聞こゆ」 とあります。息子の晴彦さんの詩です。



 写真は大講堂か大黒天堂の中かわかりませんが、阿弥陀如来像の横で警護している仏像です。 鬼を踏んづけて、怖い顔しているのになぜかユーモラスです。撮影不可とは書いていなかったようなのでしっかり撮ってしまいました。 古い仏像を撮るのにストロボを使うと、顔料など痛めてしまうので、カメラマンは気をつけないといけませんね!(自分に向って言っています!)

 シャクナゲの咲く石段をのぼりつめると奥の院です。途中で小さな道が分かれ、 721mの両子山(ふたごやま)山頂に続く登山道の立て札が立てられていました。

奥の院は先ほどの文殊仙寺のお堂とそっくりそのままです。お堂の半分が岩壁に埋もれて立てられています。懸崖造りと呼ばれる造りだそうです。 堂の奥に縁起のいいありがたいお水があるということで、入っていくと岩の間からチョロチョロと水が湧きで、岩のくぼみに溜まっていました。 皆でそれを頂きました。   









 山門前の仁王像です。国東の象徴見たいな仁王像で、人気のスポットです。国東のいろいろなパンフレットの表紙に出てきます。 像自体でも2mを超える堂々とした仁王像です。















次の訪問地は真木大堂。両子寺のお山を下りて、富貴寺に向かう途中にあります。本当は熊野磨崖仏を見たかったのですが、 真木大堂の前にあるお土産屋さんで聴くと、「車を降りて片道30分は歩かなくては!」とのこと。残念ながらここは時間がとれず断念です。 真木大堂の入館料は少々高いと思いましたが、中に入ってみました。古いお堂の中には仁王像で守られた仏画の掛け軸が掛けられされています。 傳乗寺と記されています。ここは真木大堂ではないの? 庭の方を回ると五輪塔があちこちに建てられそこには竹の子がニョキニョキと頭を出しています。つい笑ってしまいます。 それにしてもこれでは入館料が高すぎる!あっという間に一週してがっかりして出ようとしましたが、入場者がみんな靴を脱いで、やや新しい建物の中に入っていきます。 何気なく中をのぞいてみると、ありました!中には堂々とした阿弥陀如来像を真ん中に不動明王と二童子像、四天王立像、大威徳明王など九体の仏像が建ち並んでいました。 すごい!思わず息をのんでしまいます。高い入場料は伊達ではなかった! 残念ながら撮影禁止でした。かなり長いことそこにとどまり、感謝しながら外に出ました。  先ほど熊野磨崖仏のことを教えてくれたお土産屋さんで、イチジクの砂糖漬けとフクロウの大きな陶器の置物を買って、ここを後にしました。

 さあ、いよいよ念願の富貴寺に向かい、車を走らせます。高校か中学校の教科書に法隆寺と並んで、日本屈指の古い木造建築物と写真で紹介されていたのが、 なぜか昔から頭を離れません。道の途中で小さな磨崖仏を見つけました。車を停めて、ちょっとだけお参りしました。











富貴寺は昔写真で見たまんまのたたずまいでした。それ以上でも無し、それ以下でも無し。今でこそ入館料も取ってしっかり手入れされているようですが、 なんとしばらく前までは、荒れほうだいで、子どもの遊び場になっていたようです。ホントに古い木造のお社です。 村にあった大きな大きなカヤの木一本でこのお社は造られたと伝えられいます。入り口の階段の下に看板があり、昔話が紹介されていました。  







 富貴寺を後にしたのは2時50分、もう余り時間がありません。豊後高田市の昭和村も見たいし、宇佐神宮にもみんなを連れて行きたかったのですが、 4時には安心院のワイナリーが閉まってしまいます。横を素通りしながら若干悔しい思いです。 











    安心院のワイナリーに到着したのは3時25分。早速車を降りてワインのお店に直行です。




星ヶ峯の桜祭り

星ヶ峯の桜祭り

 なんとも言葉にしようもありませんが、東北・関東であんな事があって、このHPの更新も何となく気の向かない状況でした。 ところが、3月5日の朝のテレビ放送で岩手のお酒メーカーの方が「全国での色々なイベントの自粛は、気持ちは有り難いが、むしろ花見などは中止せず、 東北のお酒を花見で沢山飲んでくれた方がもっと有り難い。」といったような趣旨の事をお話していらっしゃいました。 なるほどとこのことに力を得て、早速、HPを更新することにします。

 早速、花見のお話です。4月3日は星ヶ峯の桜祭りが行われました。 東校区は東町内会の公民館で、西校区は本格的に茶釜公園の桜の花の下でにぎにぎしく開催されました。 我が東校区のほうは出し物は踊りがメインですので、公民館の室内でのこじんまりとした催しですが、天候を気にすることもなく、 素敵な着物のお召し物が汚れないというメリットもあります。案の定、パラパラとでしたが少し小雨もぱらつきました。 写真のように、若やいだ、あでやかな踊りを存分に楽しませてもらいました。部屋の中に桜が満開でしょう!?
 

踊りの他にも素敵なバイオリン演奏やカラオケ、手品などが披露され、それを見ているうちに、あっという間にお昼になってしまいました。 この後、みんなでお弁当食べ、ビンゴゲームで大騒ぎして午後1時には解散しました。 室内の催し物ですので、後かたづけもあっという間に片づいてしまいました。  







 
 東校区の方が早く終わったので、つばさ町内会のM会長と二人で、茶釜公園で開催されている西校区の桜祭りを見学に行ってみました。 満開の桜の下で大勢の方が祭りに参加されていました。ここではコンロを囲んでバーベキュウを楽しんでいるグループが多くみられました。 写真は太極拳の演舞の様子です。この茶釜公園で定期的に練習しているそうです。興味のある方は私までご連絡ください。紹介してあげますよ! 


 

藤川天神 臥竜梅

またまた梅のお話

 2月21日、そろそろ白梅の花が咲きそろってきましたので、久しぶりに東郷町の藤川天神に足をのばしてみました。 お弁当を作って、家内と妹と三人で出かけました。早く出かけるつもりが、月曜日はさすがに忙しく、最低限のことをすませてからの出発で、 鹿児島を出たのもう12時をすこしまわってしまいました。

 1時間と少々で天神さまに着きました。境内の臥竜梅の紅梅はまだまだほとんどがつぼみのままでした。白梅は咲いていましたが、 お目当ての紅梅はかろうじて1本だけ咲き始めていました。まあ「花は盛りに、月は隈無きをのみ見るものかは」 咲き始めのころも乙なものです。早速、白梅の下にシートを引き、お重箱を広げ、もちろん花より団子です。

 ここの臥竜梅は福岡太宰府の「飛び梅」と親戚のようです。その昔、藤原氏の陰謀で中央官界から追い出され、 福岡の太宰府に権帥(ごんのそち)として左遷されてきた菅原道真公は、暗殺から逃れるため病死と偽り、 この地、薩摩の国東郷町に逃れてきたと言い伝えられています。 ここで余生を送った道真公のお手植えの一本の紅梅が、長い間に枝が地に触れ、そこから根が生え、そうして次々と本数を増やしてゆき、 今の臥竜梅の梅林になったと伝えられています。



   出店で太宰府名物の「梅が枝餅」を食べ、地産のそば粉や小豆を買い求め、お参りを済ませて天神さまを出ました。 県道に出ると右手には田圃が広がり、ビニールハウスがあちこちに並んでいます。ほとんどがイチゴの栽培のようです。 イチゴ狩りをさせてくれるところをさがし、中に入ってみました。 1キロで1500円と言われ、いい値段だなと思いましたが、超大粒のイチゴ22個ちぎり取り、これで1キロかなと受付に差し出したら 1キロも無くて、1200円ですと言われました。これ案外お得です。それに内緒ですけど、中で4個ほどこっそり食べちゃいましたし! みなさんも是非、梅見に行って、ここに帰りに寄ってください!


 

2月は行事がありません

2月は行事がありません

 大雪で始まって大雪で終わった鹿児島の1月は、あっという間に通り過ぎてゆきました。  元旦にあんなに雪が積もっていたなんて生まれて初めてです。おまけに月末31日も雪がうっすらと積もり、 寒いさむい1月が終わりました。
 みなさん2・8(ニッパチ)って聴いたことありますか。昔の商売人の言葉 ? で2月と8月は商売があがったりの月なのだそうです。 お正月に家計を使い果たして、庶民の2月はじっとがまんの月? なのでしょうか。8月はなぜかわかりませんが、夏枯れという言葉を想い出します。 でも近年は勤労者の夏休みが長くなったりして忙しい月に変わっている気がします。 私も2月枯れで、2月は地域行事もありません。個人的イベントもありません。 なので暇があったら寒グロ釣りに勤しんでいます。そこそこ地磯からでも釣れています。(詳しくは釣り情報の部で) 寒さを耐えて毎週末ご出勤です。今、魚買うこと無いくらいですよ!買うのはサンマとサーモン(本当はトラウト)と干物くらいです。
 3月は鹿児島は県議戦が始まります。そろそろ少しは騒々しくなりそうです。来月からは手抜かずホームページ作りに励みます。

 そろそろ梅の花の頼りが各地から伝わってきます。ここ星ヶ峯では、民家の垣根の下がり梅が五分咲きというところでしょうか。

2月16日、妹がバスツアーで福岡に行き、帰りに太宰府天満宮に寄ったようですが、まだ1分咲き程度、花はちらほらというところだったようです。 週末気温が上がりやや暖かい雨になるようです。九州各地、一気に開花が進むのだと思います。


宮島と山口の長門峡の紅葉 2010/11/21

秋の中国路で紅葉狩り!

広島にいる息子の野暮用のために、家内と広島に行って来ました。鹿児島市内に住む妹も行きたいというので、20日・21日の週末かけての長距離ドライブです。                   

 朝7時、明和の妹宅をスタート、一路目的地に向かいます。お天気は上々で快適なドライブ日和です。早目に広島に着きたかったので、 サービスエリアに停まったのは北熊本PAと開門海峡の‘めかりPA’だけで、私としてはそこそこぶっ飛ばしました。 広島の手前でガソリンのエンプティーマークが点滅し始め、かなり危ない状態でしたので、12時45分、大野ICで降りて給油し、そのまま宮島口に行ってみました。 時間があればこの日のうちに宮島厳島神社を見ておきたいと思ったのです。ところが秋の観光シーズンで車はごった返し、留める駐車場もありません。 あきらめて宮島は明朝にまわし、原爆ドームのある平和記念公園をしばらく散策し、紅葉を楽しみ、息子のマンションに向かいました。  
                   この日、広島ではえびす祭りの最終日で、繁華街はごった返していました。銀山町の瀬戸内料理のお店で夕食をすませた後、お祭りの夜店を散策し、 どこを歩いているのかまったくわからなくなって、迷いに迷い、ようやく平和大通りに出ました。 大通りにはひろーい道路の両サイドの歩道に、ずーっと遙か彼方まで、クリスマスのイルミネーションが飾られていました!年末までずっとこのままだそうです。 イルミネーションを堪能した後、近くのお好み屋さんでハーフサイズの広島焼きとビールを飲んで部屋に帰りました。 料理店の加茂鶴のお酒がきいたのか、距離にして600キロ超の高速ドライブで疲れたのか、この夜は布団に入った途端、気を失ってしまいました。









宮島の紅葉を訪ねて

<続き 宮島編>
11月21日、目を覚ますと6時半。昨日の長距離運転などで身体は重かったのですが、家内や妹、そして息子を起こして支度をせかしました。 きっと8時頃には宮島口に着かないと絶対駐車場が空いていないと思ったからです。 案の定、フェリー乗り場の駐車場はほぼ満杯になっていました。早速、切符を買って乗り込みます。逆光の宮島の上に上ったばかりの朝日がまぶしく輝いています。 牡蠣いかだがずーっと宮島に続いています。何度かシャッターを切っているうちにあっという間に宮島に着いてしまいました。     

   船着き場を降りて、古い町並みに入り込みしばらく歩くと、路地の間の向こうに、周りの紅葉より一層鮮やかな赤い五重塔が見えてきます。 つきあたって石段を登ると千畳閣と五重塔に出ました。千畳閣は豊臣秀吉がたてたそうですが未完成の大伽藍のようです。 ここから厳島神社を見下ろしながら坂道を降りていきました。
 世界遺産に登録されたのに、厳島神社の入館料150円!なんてやすいんだろう。有り難いことです。 今回、大潮の満潮時をねらって訪れましたので、舞台の下までいっぱい潮が上がってきています。「少しでも波があればここの縁側は波をかぶるのだろうか?」 なんてよけいな心配をしながらも、もう夢中になってシャッターを押しまくりましたよ! 息子の就職の時初めて訪れたときは、大潮の干潮時でずーっと沖の大鳥居まで歩いていけました。どちらもいい体験です。  日本3景の一つに2度も来てしまいました。紅葉まんじゅうの発祥の地宮島の紅葉も真っ盛りで、 紅葉谷ではたくさんの観光客がカメラを真っ赤な紅葉に向けパチパチとやっていました。観光みやげの売店も昔ながらの面影が残り、いい雰囲気でした。 やはり広島!しゃもじのおみやげが店頭の一番にいいところに陳列されていました。

 11時になり、少し早いのですが、息子が前回入って気に入ったという焼き牡蠣のお店で牡蠣めしを食べてみることにしました。 店の前にはもう10数人並んでいました。きっと人気のお店なのでしょう。我々もその後ろに並んで待ちました。 10分も待つと奥に案内され、早速、牡蠣めしと焼き牡蠣を注文しました。 とても美味しかったですよ!牡蠣飯は1000円と割と易くて、焼き牡蠣は一皿先に出たのですが、店員さんが「これちょっと小粒だったから」と サービスでもう一皿持ってきてくれました。なんか嬉しいです!

  もう一箇所紅葉の名所山口の長門峡に行きたかったので、12時には帰りのフェリーに乗り込みました。 宮島口に着くと、もう港は広島の人が全員宮島に集合するのか! と思うほどの人だかりです。早く来ていてよかったともう一度思いました。 息子と別れ、広島を後にしました。

<長門峡編につづく>






山口の長門峡の紅葉を訪ねて



<TOPページの続き 長門峡編>
宮島を後にして、中国自動車道路に乗り一気に山口ICまで飛ばしました。と言っても昨日の疲れが抜けきれず、100km/時の速度がが辛い感じです。 サービスエリアで熱いコーヒーを飲んで、カーナビを長門峡にセットしました。後はカーナビ任せです。山口の街を過ぎ、津和野方面に向かいます。 山路に入ると周りが真っ赤です。長門峡の道の駅の方からアタックしようと思っていたのですが、竜宮淵の方に方向を変えてみました。 余り時間が無いのでせめて紅葉橋だけは見てみようと思ったからです。くねくねとした山道が続きます。 よせば良かったと思いはじめたころ、ようやく竜宮淵につきました。ここには山小屋を少し大きくしたような食堂が有り、鮎の塩焼きのいいにおいが漂ってきます。 我々は渓谷沿いの狭い路を紅葉橋の方へ歩き始めました。     

   ここ長門峡はかの水墨画の雪舟がここの風景を描き絵の修行をしたことで、その筋では非常に有名な所だそうです。 明治になって高島北海という日本画家がここを好み、私財を投じて我々が歩いた歩道を整備しかつ長門峡と名付けたのだそうです。  入ってすぐ雪舟滝が見つかりましたが小さな滝でした。渓谷沿いの岩壁を削った狭い路を大勢の観光客とすれ違いながら上流へ歩いていきました。 10分も歩くと目的の紅葉橋に到着しました。思ったよりか紅葉が少ないのがちょっとがっかりです。 でも渓流はきれいで時間があれば川遊びなんか楽しそうです。時計は午後3時を指し、陽がかげってきました。 先を急ぎ、そそくさと紅葉橋を後にしました。

 今度は長門峡道の駅に周り、こちらから1kmほど遊歩道を攻めてみました。時間があればちゃんと5.5kmの行程の全部を、家内や妹を歩かせるのでしたが! こちらの方が上流ですが、川幅も少し広くてゆったりと川が流れていました。最初は遊歩道も広かったのですが、奥に進むにつれ狭くなり、 がけの真ん中を削った路を歩く場所が何カ所もありました。下を見るとちょっと足がすくみそうです。 見上げると陽がまただいぶ傾き、山の端の紅葉が夕日に照らされて真っ赤に燃えています。 残念ながら小生の技術では山の頂の紅葉の色は明るく飛んでしまっていました。肉眼ではとてもきれいだったのに!



















   道の駅の近くで交通事故があり、車が混んでいました。これは急いでも仕方がないとあきらめ、 道の駅で、ちょっと早い夕食を食べることにしました。鮎の川魚定食にしました。先ほどの竜宮淵での魚を焼くにおいが鼻にきっと こびりついていたのでしょう!そこそこ美味しかったですよ!お値段もそんなに高くありませんでした。
食べ終わった頃、外の方で「ピー」「シュー」とかすごい音がします。暴走族でも?と外に飛び出すと、目の前に蒸気機関車が現れ、 走り去ろうとしています。たまたま手に持っていたカメラのシャッターを押しまくりました。予期せぬ出来事だったのでアングルは 悪いですが、しっかりカメラに納めましたよ!



星西成人学級の稲刈り 2010/10/23

星西成人学級の稲刈り

今年、6月に泥んこ遊びと田植えから始まって、夏も過ぎ秋になり、ようやく成人学級の田圃も収穫の時期を迎えました。
 10月23日(土)みんなに集合が掛かりました。 朝10時に茂頭の田圃に行ってみるともうバインダーを操ってH氏が稲刈りを始めていました。三々五々小学生たちも集まってきます。 見ると田圃の真ん中が3箇所ほど丸く刈り取られています。聴くとウンカの被害に遭ったようで、それ以上広がらないように前もってH氏が刈り取ったとのことです。 よく見ると稲の葉に黒い斑点がいっぱい付いています。お米は毎日目を光らせていないと収穫が台無しになるのだそうです。 ウンカは偏西風に乗ってはるばる中国大陸からやってくるようです。中国からは黄砂とか色々迷惑な物が時々飛んできます。(笑)

 小学生が集まったところで稲刈りの実地体験です。鎌を手に昔ながらのやり方で切ってみます。なれない手つきで刈り取るのがなかなか大変そうです。 一方、バインダーはあっという間に稲を刈り取り、一定の量の束が紐に縛られて、機械の右側に飛び出していきます。感心してずっと見ていました。

   孟宗竹を掛けた櫓にみんなで刈り取られた稲の束を掛けていきます。2列で足りず3列も櫓に稲を干してゆきます。今年も豊作のようです。  刈り取られた田圃の後には小さなクモが無数にいました。不思議に思って聴いてみると、稲の中にいて、刈り取られたときに落ちたのだそうです。 稲についたウンカなど食べてくれるのでしょう。このクモは正義の味方なのです。仕事に疲れた子どもたちは小さなカエルを見つけて手にとって遊んでいました。 小さなカエルもいっぱいいました。このカエルたちも正義の味方なのです。

 翌週の土曜日に脱穀をして、その後に子どもたちとバーベキュー大会をして、新米を食べる手はずになっていましたが、台風の影響で天候が危ぶまれこれは中止。 (台風は逸れ、土曜日はいいお天気でした。)28日に突然メールが来て29日の金曜日の午後、大人たちだけで脱穀をすることになりました。 ちょっとだけ顔を出してみました。それが間違いでその後ずっとつきあうことになりました。夜の飲み会まで! 新米もモミで1袋わけてもらってきました。31日の日曜日、近くの精米機で精米し新米を食して見ました。 おいしかったですよ!


壱岐という歴史の島に行って来ました

壱岐という歴史の島に行って来ました

  9月29・30日壱岐の島に行って来ました。離島大好き人間ですが、なかなか壱岐に行く機会などめったに無いので今回の旅行は非常にラッキーでした。 ボランティアの仲間たちとの旅行でしたが、今回は私がスケジュールや訪問先、観光先、宿泊地などを決めることになりました。 2ヶ月前からツアーコンダクターになりきって、あちこちに電話しまくり、インターネットで観光地を検索し、どうにか行程表を作成しました。 もう旅行当日にはすっかり壱岐を観光し尽くした感覚になってしまいました。

 さあ、いよいよその日になりました。薄曇りの穏やかなお天気で2日間とも上々のお天気のようです。これは私ツアーコンダクターのお手柄といってもいいのでは! 朝7時、バスは星ヶ峯を出発、高速を一路唐津へ向かいました。11時30分に唐津に到着。少し早いお昼ご飯になりました。 もちろんお昼ご飯はイカづくし定食。ここは呼子のすぐ近くです。ただ呼子はこの頃イカの水揚げが激減しているらしく、肝心のイカのお造りは 大きいお皿にちょこんと乗っかっているだけです。呼子沖の砂の採取が原因で海底が荒れてイカの産卵場所が無くなっているとNHKの特集で報道されていました。

3時のフェリーに乗っていざ壱岐に!少し北東の風が吹き初め、若干の波がありました。写真は我々が乗ったフェリーあずさです。ここ唐津東港と壱岐の印通寺港はこの船と エメラルドからつが運行されているようです。片道の所要時間は1時間45分です。 

   宿泊はホテルステラコート大安閣という温泉ホテルでした。指宿生まれの小生にはこれが温泉?という感はありましたが、壱岐にも温泉があるのです!

2日目は朝8時前から島巡り1周コースです。最初の観光地は黒崎砲台跡と猿岩でした。まさに岩猿が海を眺めています。青い海と白い岩が対照的でした。 続いて朝鮮の役関連遺跡の勝本城跡を歩き、遠く対馬の島を望みました。70km先の対馬が見えるのはそこそこラッキーなんだそうです。 城を降りて勝本港の朝市ものぞいてみました。おばあさんたちが頑張っていました。昔ながらの朝市の風景です。 海産物だけでなくお菓子や花やなんと「椎の実」も売っていました。仲間が懐かしがって買っていました。



港には海は凪いでいるのにいっぱいイカ釣り船が港に浮かんでいました。もう漁からかえってきたのでしょうか? 船の舳先から艫まで、ずらりとつり下げられた漁り火がいかにもイカ釣り船という感じです。 鹿児島の漁船は水中灯が目立ちますので、ねらう魚が違うようです。 





  壱岐は、鎌倉時代の元寇の時に島民が皆殺しにされたという悲しい歴史を持ちます。千人塚や少弐公園にその名残をとどめています。 写真は元寇の碇です。漁師の網に掛かってあげられたとか!この島にはいくつか飾られているそうです。のろし台もすぐ近くに残されていました。


今年の星ヶ峯団地夏祭り

今年の星ヶ峯団地夏祭り

8月7日(土)星ヶ峯団地夏祭りが開催されました。今回で27回目を数えます。 今年度は東校区が担当で、小生が実行委員会の事務局長となってしまいました。 実を言うと結構大変なんで、担当をはずしてもらおうといつも思っていますが、なかなかです。年ごとに入場者数が増えて来ます。 きっと入場者総数2、500名くらいになっているのではと思います。 一度アルバイト雇ってカウントしたいくらいです。 夜店の1テント当たりの売り上げも増えているようです。機会があったら売り上げの集計もとってみましょう。
 さあ、いつものように中学校のブラスバンドでスタートです。去年から西陵のVTBケーブルテレビさんが舞台・音響・照明を 一手に引き受けてくれますので、雰囲気が俄然盛り上がります。プロのやることはひと味もふた味も違います。 そのせいもあって、もう5時から会場はごった返しています。楽器の搬入・搬出も時間が掛かってしまいます。 この後の幼稚園児の踊りでは、入場通路がその両親やおじいさんおばあさんの集団に埋もれてしまって、入場もままならないほどでした。 もうこの入場者を受け入れるのには会場が狭いのかもしれません。   

  ようやく周りも暗くなり、舞台を照らす照明が色とりどりに輝き初め、一層お祭りの雰囲気が盛り上がってきました。 7時前に町内会からの出演の舞台演芸がやっと始まりました。最近舞台発表の内容がいろいろな分野にまたがり、多種多様になってきました。 従来の日舞だけでなく、太鼓のグループが二つ、空手の演舞が2チーム、フラダンス2チーム、ジャズバンド、沖縄踊り 今回はなんとバイオリン演奏までありました。さわがしいお祭りの野外舞台で後ろまで音が届くのかと少々心配しましたが、ケーブルテレビの プロ集団のおかげで大丈夫でした。



 舞台発表のトリを琉球國祭り太鼓のみなさんが盛り上げてくれました。沖縄の民族衣装に身を包み、太鼓を抱いて激しく動き回る姿は 勇壮そのものです。2年続けての出演で、残念ながらきっと今回までですが、いつ見ても楽しい舞台です。 最後に獅子舞も登場してこどもたちは大喜びです。いつの間にか観客の子どもたちが舞台に上がって一緒に踊っています。 大騒ぎ!大盛り上がり!です。表現すべき言葉が見つからないほどです。

こうして舞台は大盛況で終わったのですが、予定の時間が40分もオーバーしています。総踊りを取りやめ大会会長のあいさつもそこそこに 花火が上がったのが9時30分でした。遅い時間の花火は迷惑だとのおしかりもありました。小中学校のPTAの夜間パトロールのチームも 祭りが終わるまでずっと近くで待機していたことと思います。申し訳ありません。 協賛頂いたVTBケーブルテレビさんは、この後機材の片づけ、搬出は都城まで持って行かれたとか!鹿児島に帰って寝たのは明け方近くだったとお聞きしました。 本当に有り難うございました。


週末、広島に行って来ました
週末、広島に行って来ました

先月、日本中を騒がせたマツダの暴走車事件の宇品工場に、小生の息子が勤めています。親としては結構ショックです。 入社以来5年もほったらかしていましたので、家内と二人広島まで車で走ってみました。 土曜日の午前0時10分、どうせ眠れないので車を出しました。梅雨は小康状態で、出がけにぽつりと来ただけで、北に向かうにつれて良いお天気になりました。 7月10日・11日の土・日はむしろお出かけ日和になりました。雨を覚悟していたのにね! 今日の広島は大雨で大水に見舞われた広島市内の映像が頻繁にニュースで出てきます。大変です!

 写真は門司から見た下関方面です。このときは穏やかなお天気だったのです。昨日今日のニュースを見るとこの辺の平地では大変なことになっています。

    広島には朝8時に着きました。子どものマンションをカーナビでたどりましたが、住所が表示されません。でもまぁ何とか無事たどり着きました。 この日は息子が非番だったので、広島観光につきあってもらいました。前回は宮島に行ったので、今回は呉がいいなと言うことになり、 呉の戦艦大和の展示館に行くことにしました。 6月28日からただになった高速道路に乗り(ラッキー!)、呉に着いたのは12時。「腹が減っては戦は・・・」と、まずはYUMEタウンで昼食を取り、 その後展示館に入りました。 入るとすぐ戦艦やまとの大きな模型が目に飛び込んできます。なんと全長26.3メートルもあり実物の10分の1大きさだそうです。 館内には呉の歴史をつづった写真やその他の展示物がすらりと並んでいました。ただほとんど寝ていない私の頭は活字をいっさい受け付けません。 写真と展示物だけを見て歩きました。真珠湾攻撃に使われた魚雷挺なども展示してありました。 

館外に出て港の公園を歩いていると戦艦大和の主錨を見つけました。14250kgと刻まれています。 これだけでも大和がいかに大きな船だったか想像できます。 記念スナップ撮っておきました。  













 この後、広島に勤務している豊田氏と会い、持参した焼酎を手渡ししました。「広島は焼酎が高いんだよね!」とすごく感謝されました。 彼の出身地の焼酎「島美人」だったこともありましょうが、ごく普通の焼酎です。 夜、中区のお好み焼き屋さんに家内と行ったのですが、「三岳」や「とみの宝山」などの銘柄がコップ一杯で600円なんてなっていましたから 少しびっくりです。これ買って持ってくれば良かった!もっとよろこばれたかも! 広島お好み焼きの技盗んできました。今度、挑戦してみます。 この日の市内観光は広島城で打ち止めです。 <二日目につづく>



広島紀行その2

広島の二日目(7/21)は、しとしと雨の日曜日。息子に急に勤務が入って、朝の8時には一緒にマンションを出ました。 宇品工場まで送っていって、例の事件現場の門を遠くから眺めました。気分的になかなかそばには近づけなかったです。 息子と別れて、こんもり茂った公園の近くのモスバーガーで朝食をとりました。見知らぬ町での雨のカフェーはなかなか旅情があります。(たとえモスバーガーでも) さて、このまま帰るのも芸が無いし、家内は「名古屋の息子の所に行きたい。」なんて言い出しますが、 ここから高速で5時間、その帰りは鹿児島まで12時間!合わせて17時間はさすがに心の準備ができません。
 9時になるのを待って、平和記念公園と原爆ドームを参拝に行くことにしました。土日駐車OKの道路脇がたまたまあいていたのでそこに車を止め、 傘をさして記念公園を散策、この日は参院選のせいか、朝早くから人出が多いようでした。ここの真上で原爆が爆発したという爆心地の碑も町中に見つけました。 近くに頼山陽の記念館があります。何とかさがしつけ、見学がてら歩き疲れた足を休めました。

  11時広島を後にしましたが、家内が「職場のみんなにお土産を!」と言います。「さてどこで買ったものか? そうだ宮島の港に行けば紅葉まんじゅうくらい売ってるか!」と国道を宮島口まで走り、紅葉まんじゅうを何箱か買い求めました。  

  12時になりそろそろおなかがすいてきました。どこかで昼食をと考えながら国道2号線を走っていましたが、岩国に入り国道沿いのうどん屋に入りかけたのですが、 「そうだ、錦川でも見ながら川魚でも食べよう。」と、錦帯橋まで一気に走りました。 広い無料駐車場に車を止め、川沿いを錦帯橋の方に向かって歩いていると、なにやら銅像らしきものが見えてきました。 堤を降りていって見ると、なんと佐々木小次郎のツバメ返しの像でした。この悲劇の武芸者の生家はここだったのだ! この像の奥にはお堀が広がり、藩主の吉川屋敷や神社の古い建物群が続きます。ここは3度目なのですが、これまでは余り時間もなく、 向こう岸から橋を見ていただけで、川向こうがこんなに広い公園になっているなんてちっとも知りませんでした。 お屋敷の背後にそびえる丘の上まで上るロープウエイがあったのには二度びっくりです。 山の上にはかすかに山城がたたずんでいるのが見えます。

 橋のたもとにはおみやげ屋が連なり、茶店も並んでいます。むさし商店と佐々木屋小次郎商店が向かい合って競っていました。 当然、佐々木屋に入りました。2階に上がりそこで郷土料理の岩国寿司なるものを食べてみました。薩摩揚げみたいなお魚のミンチを上げた料理も着いてきました。 まあまあおいしかったですよ!

 橋の下に降りてみると柳の古木があり、看板が建っています。読んでみると小次郎が「ツバメ返し」を編み出したツバメと柳はこの場所! なんて書いてあります。ホントかな?  珍しくゆったりと過ごしていたらもう3時前です。一生懸命頑張ってとばしても鹿児島に着くのは午後9時を回りそうです。 名残を惜しみながら、高速の岩国ICに向かいました。


星峯東校区 ソフトバレーボール大会


星峯東校区 ソフトバレーボール大会

 6月27日(日)東校区のバレーボール好きのみんなが集まって、町内会対抗のソフトバレーボール大会が開催されました。 わが桜会町内会からも女子チームと混成の2チームが出場しました。
 小生は毎土曜日の午後7時から、東小学校の体育館でイーグルスというチームで練習しています。 健康と体型維持のため練習は欠かせません。加入してから3年も経つので下手だった小生でも、 少しは使えるようになってきました。(まだまだスパイクなどは思うにまかせませんが!)
 今回、小生は桜会チームの混成で参加しました。(前回は審議会チームだったのかな?) 電話しまくってどうにか5名メンバーを集めました。今年、南町内から我が町内会に移ってきたM氏ご夫婦が 強力メンバーになりました。これで混成チームもいいところまで行くぞと大会に臨みました。

 参加チームは19チームでした。男子4チーム、女子9チーム、混成6チームです。 予選リーグの対戦相手は東小先生チームと校区審議会チーム。どちらかを破れば予選通過が見えてきます。 審議会チームは何とかなるかと思いきや、考えてみると昨年この対戦相手は準優勝チームでした。(小生もそのメンバー) 善戦はしましたが、あいご担当のM先生と教頭先生の前線は強力で、結局負けてしまいました。 これで予選敗退かと危ぶまれましたが、先生チームは男子チームに重点を置いたようで、 混成チームはさほど強力なメンバーを組んでこなかったようです。 ここでどうにか1勝を拾ってめでたく決勝トーナメントに進みました。  
 いよいよ決勝トーナメントです。審議会チーム、南町内会チーム、我々、東町内会チームが混成では勝ち残りました。 いよいよ抽選、M婦人に、もし勝てるチャンスがあるとすれば東町内会(ごめんなさーい)だけですからといって送り出しました。 するとそのとおりくじを引いてきましたからびっくりです。これも接戦をものにして決勝に勝ち上がりました。 最後は南町内会チームと対戦です。心の内では堂々と渡り合ったと思っていますが、2セット連取で完敗でした。  
 男子チームの優勝は同率で東町内会昴町内会、混成は南町内会、女子は東町内会でした。
星ヶ峯西成人学級 泥んこ遊びと田植え


星ヶ峯西成人学級 泥んこ遊びと田植え

 梅雨にはいると、県下一斉に田植えが始まります。旧鹿児島市はすっかり住宅地になってしまって、もうほとんど田圃が残っていませんが、 我が星ヶ峯には北部の茂頭地区に少し田圃があります。西校区の成人学級は、そこを一区画お借りして、10年前から小学生と一緒に田植えをしています。 そしてその前の週の土曜日に、田圃で泥んこ遊びをし始めました。もう5年ほどになります。 水を張った田圃の中でボール遊びをしたり、ウナギのつかみ取りをしたり、今年は鯉のつかみ取りもしました。 前日S氏がわざわざ自分の田舎の肝属?串良?に行って購入してくるのだそうです。



  泥んこ遊びの後は、捕まえたウナギと鯉を料理して、ウナギの蒲焼きと鯉のアライを作って、子どもたちに振る舞いました。 小生の役目は鯉のアライでした。海の魚と違って、川魚はツルツルすべって料理しにくいことこの上なし! 鯉は結構大きいし! 大きな皿2枚にそれを並べ、酢みそを添えて出しましたが、これが少し辛くて子どもたちには不評だったかな? かなり残ってしまいました。 もっとも大人たちが全部平らげてくれましたけど!それでも5匹の鯉の腹身がクーラーの中に全部残ってしまいました。 夜の部の反省会で、もう一度アライに仕上げて酢みそを甘く調整して持ち込みましたら、今度はおいしいと言って食べてもらえました。 田圃の横でこっそり収穫した大名竹(真竹)のタケノコとほうれん草の卵とじ、それに近くのストアで買ったタカエビとトビウオのお造りも差し入れました。 結構おいしかったと夜の小生の会費はただになってしまいました。


星ヶ峯ソフトボール大会→ソフトバレーボール大会へ


星ヶ峯ソフトボール大会→ソフトバレーボール大会へ

 恒例の星ヶ峯ソフトボール大会が5月23日(日)に開催されました!と言いたいところですが、この日は前日から激しい雨! 何年か前から、雨の場合は西小学校の体育館をお借りしてソフトバレーボール大会に変更となります。

少し時間をずらして9時から開会式が始まりました。土砂降りの中、何とか12チーム全員がバレーボールに参加することができました。 我が「酔」チーム、正式にはヨクロテスワローズチームはソフトボールよりバレーボールの方が断然有利です。 組み合わせで昨年雨の時のAグループ優勝の「スリーフォーズ」と1試合目でぶつかりました。ここを取ると優勝が見えてきます。 何とか2対1セットで接戦を勝ち抜きました。後は強敵と思われる西小学校の先生方をじっくり観察です。先生方はバレーボールの試合が多く、 かなり練習をしていると聞きます。ところが先生チームは星見台チームに破れてしまいました。この時点でもう優勝がみえてきました。 いつも思うのですが、バレーボールは少しでもかじっていないとどんなに運動神経の良い方でも、少しでも若い頃に練習している人にはかなわないような気がします。 アタックの技術的なもの、あるいはセッターのトスなどの連携が非常にチームワークを必要とするスポーツだからでしょうか? まあ素人がよけいな解釈をするのはこのくらいでやめましょう。我が酔チームはめでたく優勝を勝ち取りました。

  午後5時からは恒例の表彰式と懇親会。外は雨でしたので、東町内会の公民館をお借りしました。 ここは本当に広い公民館で、100名弱の人間を平気で収容してしまいます。 美酒に酔いながら、にぎやかに談笑しました。最後にじゃんけんゲームがありまして、我がチームここでもじゃんけんを3人も勝ち抜いて、 またまた賞金をGET! もう、優勝、最優秀選手賞、じゃんけんゲーム3本と総なめでした。 まあ、ソフトボールだとこうもいきませんでしょうが!  今回の幹事チームの鈴木厨器のみなさん有り難うございました。 


サザンガールズ グラフィティー


サザンガールズ グラフィティー

 星ヶ峯中央商店街をロケの舞台として、「サザンガールズ グラフィティー」という映画が作られています。鹿児島県がつくった県民映画です。 2月に市民文化ホールかどこかで上映されたのですが、それを見に行った有志が、ロケ地が地元星ヶ峯ということもあり、 是非とも自分たちの地区でこれを上映したいという運びになりました。  皆で手分けしてチケットを売りさばき、4月18日の日曜日午後3時から地域の方々を集って、 どうにか映画会が開催されました。3時になると300個準備したいすが埋め尽くされました。 この映画の主人公は斉藤千晃・晶姉妹です。 晶といえば現在のキャスト里見浩太郎が水戸黄門を演じた始めたとき、鬼若(昭英)の肩に乗っていたあの可愛い女の子アキ! 今はもう15歳!指宿の池田出身とか!指宿生まれの私にはなおさら親近感がわきます。

 上映前に映画監督と主役が二人も来てくださって、挨拶してくれました。堀監督と主人公のお父さん役の麓俊浩さんと斉藤晶さんです。 すごいです!物語は大型店舗の進出で危機を迎え、揺れに揺れる地元商店街でのお話。商店街がバラバラになりかけたのを、 二人の姉妹の奮闘でみんなの気持ちをもう一度一つにまとめてしまうというストーリーです。 今、日本全体の商店街がおかれている危機的状況をあつかった、結構意味深な内容なのですが、 明るい二人のキャラクターが楽しい映画にまとめ上げてくれました。2度見たという大の男がほろりと涙を落としたと白状したくらいです。  上映会が終わって、晶さんやマスコットのぬいぐるみ"つんつん”と子どもたちがじゃんけんゲームをしたり、記念写真撮影をしたりしてお別れを惜しみました。




県下一週駅伝が始まりました


県下一週駅伝が始まりました

 2月20日(土)から、いよいよ県下一週駅伝が始まりました。 長男が鹿児島チームにエントリーしていたので、4、5年前まではこの時期になると仕事が手に付かない位そわそわしていましたが、 参加しなくなってから応援から遠ざかっていました。
 今回わが星峯中陸上部OBの向井くんが、熊毛チームで、初日の3区を出走するというので、久しぶりに応援に駆けつけました。 彼の走りは星峯中で3年間、鹿児島商業で1年間ずっと見てきました。卒業後、山梨学園に進学し箱根駅伝で活躍しました。 4年の時はキャプテンもこなしました。彼は星峯中陸上部の誇りです。 鹿児島に帰って来てから、西之表市役所で忙しく働いていますが、まだまだ走り続けてくれています。  

 スタート時間の9時に家を飛び出し、225号線を車でとばしました。が第2中継所になっています。 ここで向井君をさがして、再会を喜び合いました。ご両親も第3中継所の生見当たりに待機しておられると聞き、 10kmばかり指宿方面に車を走らせました。 前之浜をすぎて海岸沿いに広い駐車場があります。さがすのをあきらめ、今日の応援はこの辺で良かろうと車を止めました。 カメラを手に外に出ると、向井君の応援プラカードを手にした一団がいらっしゃいましたので、声をかけて写真を撮らせてもらいました。 聞くと西之表市役所のみなさんが、わざわざ種子島から応援に駆けつけてこられたところでした。 その一団の中の一人の男性の方が近づいてこられて、お話をしたところ松陽高校陸上部出身の方で長男・次男の先輩でした。 息子たちを知ってくれていて、ここでも話が弾みました!実は瀬々串のコンビニの駐車場でも指宿チームの応援に駆けつけた年輩の男性と 延々と話し込んでしまいました。この方頴娃の青戸から指宿チームを応援に駆けつけておられたのです。 駅伝のこととなると見ず知らずの他人とでも話が尽きません。 


謹んで初春のお喜びを申し上げます


謹んで初春のお喜びを申し上げます


鹿児島のお正月は穏やかな三が日となりました。みなさん初日の出見ることができましたか? 小生は残念ながら初日の時刻には曇っていて見られませんでした。でも9時頃はお天道様がにこにこ笑って姿を現していました。 もう少しねばっていればよかった! ところで皆様、今年も昨年同様よろしくお願いいたします。 今年は寅年!勇猛果敢に、デフレ不景気なんか笑い飛ばしてしまいましょう。    

 今年も1月9日の夕方、星ヶ峯の「鬼火たき」を開催いたしました。素晴らしいお天気で風もほとんどありませんでした。 竹で組んだ櫓に火をつけると炎は辺り一面を真っ赤に染め、空高く上っていきました。 いつもこれが終わらないと気になって本格的に仕事をする気になりません。 成人の日の連休明けからは、自分に発破をかけて頑張るぞ!




この3日間は色々なことがありました!


この3日間は色々なことがありました!

 1月13日から14日にかけて、鹿児島は10年ぶりの大雪にみまわれました。 朝5時前から降り続いた雪は、6時頃から本降りになり、瞬く間に10cm程降り積もってしまいました。 3階のベランダから見渡すと辺り一面雪景色で、大粒の牡丹雪が降りしきっていました。
 山手はほとんどの公共の交通が麻痺してしまい、長男はカブでおそるおそる出かけていきました。 家内はバスが走っている5キロくらい先の田上のバス停まで歩いて下りました。 私はといえば、幸運にも現地での会議が午前中にあり、雪の中を少し散歩するくらいのものでした。 お昼から町に出ましたが、坂の途中に何台も乗用車が放置されていました。

   次の日も夜の間雪が降り、昨日の残った雪の上に積もり重なっていました。早朝には雪はやんでいました。 日の出前の桜島は真っ白で滅多に見られないことですが、すっぽりと雪化粧でした。
 さすがに二日目となるとみんな心の準備ができていたようで、電車も走っていたし、バスもチェーンをつけて運行していたようです。 もっとも小生は9時過ぎにようやく車の雪下ろしをはじめ、洗車し、10時すぎに街に降りていきました。 道路の雪はこの時間にはだいたい解けていました。





 1月15日の朝のニュースでこの日の夕方の部分日食があることを知りました。 朝はまだどんよりとしたお天気でしたが、予報では夕方は晴れ!前回、皆既日食の瞬間を見ることができなかったので、 今回は是非、見たいものだと、仕事の日程を考えながらの一日でした。夕方、水平線に沈む欠けた夕日をカメラに納めたいと、 吹上浜の海岸に走ろうと思っていたのですが、3時過ぎお客から鹿銀に来てくれとの電話が入り、これは断念しました。 結局、星ヶ峯の星座橋からの撮影でしたが、雲が周囲にありながらも、低い山の間に沈む太陽を最後まで見ることができました。 


日南油津の堀川運河祭りに遭遇しました

日南油津の堀川運河祭りに遭遇しました

デスクトップのパソコンが不調で画面が立ち上がりません。頭にきてOSの再インストールをしてしまいました。 そのためホームページのデータがすべて失われ少々大変でした。以前バックアップしてあったデータや写真を入れ直したりして、 新しいノートパソコンでやり直しでした。ようやく以前の状態に戻すことができました。でもPhotoショップなどの 画像ソフトも無くしてしまいましたので大変です。CDも見つかりません!と愚痴はここまで!    

 11月8日(日)星ヶ峯東校区の社会福祉協議会で一日旅行を主催しました。今回はちょっとがんばって日南市に行きました。 目的地は飫肥の城下探訪です。参加者を募るとあっという間に80名の応募がありました。朝8時バス2台を連ねて星ヶ峯東小学校 をスタートです。飫肥には10時40分頃到着、お昼までには少し時間があったのでまずはお城跡を歩いてみました。 今は小学校になっていて、大手門や一部の屋敷が再現されていました。落ち着いたたたずまいです。日曜日なので学校はひっそりとしていました。     

 食事は郷土料理の飫肥天定食でした。薩摩揚げに似た飫肥天と厚焼き卵、かに巻き汁など昔から変わらぬ郷土料理です。 決して豪華とはいいませんが、趣のある昼食でした。 この後は油津により、鵜戸神宮まで足をのばしました。油津では堀川運河祭りの御輿に遭遇しました。 祭りはあるのはわかっていたのですが、詳しい時間まではわかりませんでしたので、とても幸運でした。



     
高千穂峡の夜神楽を見てきました


高千穂峡の夜神楽を見てきました

久しぶりの更新です。今日さぼってゴルフに行きました。高校から大学まで一緒のの同級生二人とラウンドしました。 ゴルフはへたなのですが今日は珍しく47と51の99でプレイしました。百割るのって15年ぶりです。かなり嬉しいです。(へたはへたなりに!) 10月18日は運動会、11月1日は星ヶ峯ソフトボール協会杯とこなし、その間は文化祭や一日旅行の準備とボランティアで忙しく今日はちょっと息抜きです。
嬉しかったのでよけいなことを書いてしまいました。ところで11月29・30日に、小生の所属する団体の研修旅行で高千穂峡方面の1泊旅行に行って来ました。 研修はたった1時間余り、後はバスに乗って観光旅行です。途中お昼周りで西都原古墳群に立ち寄りました。10万本のコスモスを期待していたのですが、 まだ3分咲きでこれからというところでした。11月8日の日曜日ぐらいが見頃になりそうです。

 長時間バスに揺られ、そろそろ山の斜面を夕日が赤く染める頃、バスは高千穂峡のホテルに着きました。 早速、温泉に浸かり一日の汗を流します。風呂から上がるとすぐに宴会が始まりました。今夜は夜神楽がこの後の予定に入っていたため、 宴会は早々に切り上げて、ホテルのすぐ近くの高千穂神社の夜神楽の会場に向かいました。  
カメラを持ち込んで最前列に陣取ったのですが、写真撮影はダメと書いてあります。諦めていましたがみんなカメラを手にしています。 どうやらOKらしいということで一安心!神楽が始まるやいなやもうシャッターパチパチ、ストロボピカピカです!撮される方も大変そう! 神楽の内容は神世の天照大神の時代です。スサノウノ命の横暴に怒った大御神が天の岩戸にお隠れになる。 世界が真っ暗になって困った神々が一計を案じ、天のウズメノ命が岩戸のそばで踊りを踊り、何だろうとそっと岩の扉に手をかけたところを、 タジカラノ命が岩戸を一気に開けて仕舞うというあまりに有名な神話の一シーンです。 結構ありきたりで単純な中身なのですが、仕草が面白く見入って仕舞います。カメラをパチパチ撮ったのですが、 どうもこちらに対してポーズを撮ってくれているような気もしないでもありません。なかなか自分でも良いアングルが取れたと満足しています。

  ここまではクラッシックでまじめな舞台です。これが終わるともう一つ、イザナギとイザナミの夫婦神の登場です。これは結構狂言ぽくて、 二人の神がいちゃいちゃしている様子や仲むつまじい様子を演じます。しばらくすると舞台を降りて観客席に浮気しに飛び出してゆきます。 「若い女性は気をつけなさい。抱きつかれますよ!でも縁起がいいんですよ!」なんて前もって言われていましたが、この夜は結構おとなしいものでした。

次の日は午前中高千穂峡の散策です。天の岩戸神社に行って岩戸を捜したり、渓谷に降りて写真をとったりしました。 なかなかいい被写体でした。少し残念なのは川面に結構霧がかかっており少しぼけてしまっていることです。(それはそれで雰囲気はでていますが!) また、少し時間があったらボートに乗ってみたかったのですが、それは次の機会に先延ばしです。 紅葉が始まりかけていましたがピークは11月の中旬になりそうです。



 


サマーキャンプin阿久根大島

サマーキャンプin阿久根大島

8月8日の土曜日から二日間、おやじの会のみんなで阿久根大島にキャンプに行きました。 太平洋には台風と熱帯低気圧が2つも見えて、やや東風が気になります。朝8時に星峯東小に集まり全員で出発。 途中で食料を買いそろえ、昼食をとり、いよいよ1時半に阿久根港を出港!かわいい赤いポンポン船が送迎をします。 阿久根大島は港の目と鼻の先に浮かぶ小さな島です。近くに桑島が浮かび、チヌねらいの釣師たちの格好のポイントになっているようです。 心配していた波もほとんど無く、10分程でついてしまいました。子どもたちは大喜びです。



   バンガローを7棟ほど借りて、それぞれの荷物をかたづけて、自由行動に移ります。 小・中学生や母親たちは海水浴とその見張りに出かけました。シュノーケルを持ってきた男どもは、 海水浴場の左にある岩場で潜りました。私もフィンと眼鏡とシュノーケルをリックに入れてきましたので、 そちらの方に参加です。結構潮が速く、ひと潜りするとあっという間に流されています。怖くて深場にはいけませんでした。 小さな青い魚がいっぱい泳いでいます。時々可愛いクマノミも見かけます。カワハギの子供が底に横たわっていたので、 死んでいるのかとつついてみたら、驚いて目を覚まし、さっさと逃げていってしまいました。 地元では「さんかくびな」という巻き貝がいっぱいいましたので、ビールのつまみにとせっせと袋に詰め込みました。 (あまり大きくはありませんでしたが!)
 過呼吸気味でぐったりとなるほど海で遊んでいましたが、そろそろ日も傾きバーベキューの準備に入りました。 コンロの炭が真っ赤になる頃、島影に夕日が沈んでいきました。(さあー飲むぞ! ムードも何もあったものじゃありませんね!)

翌朝4時に目が覚めると子供たちがバンガロー周りを歩き回っています。ほとんど寝ていないんでしょう。 5時間は寝たのかな?私も起き出してキス釣りの準備にかかりました。昨夕、試しに港で竿を出してみて、 海の底は岩がごつごつしていて、釣れたのは磯魚ばかりでしたので、きっとキスは無理かなと思っていました。 子供たちが泳ぎ始めないうちに、唯一可能性が残る海水浴場の狭い砂浜で竿を出してみました。 ところが一投目からいいアタリがあり20cmオーバーのキスが2匹も釣れました。昨日ゴカイを1000円ほど買っていましたが、 釣れなかったらこれはもらえないな?と思っていましたので、千載一遇のチャンスとがんばりました。 干潟書くなり女の子たちやお母さん方も現れ、釣りたがったので、釣り竿を持たせてあげました。この日は誰でも釣れたようです。 いっぺんに3匹の一荷釣りが何度もありました。3本の竿でみんなで代わる代わる釣ってきっと70枚ほど釣れたと思います。 これらは29名の朝食のおかずになりました。  

阿久根大島には鹿が多数生息しています。皆が海水浴をしているところに現れて餌をねだります。 小柄で毛並みのよい鹿たちです。スイカ割りをしているところによってきました。 だれがが食べかすの皮を食べさせたら喜んで食べていました。試しに赤い部分が結構残っているものを 食べさせると、そこを選んで先に食べていました。鹿も甘い果物が好きなようです。

11時半には名残を惜しみながら島を後にしました。この後川内原発を訪れ、4時半頃家に帰り着きました。 もうほんとにグッタリでしたよ!
星ヶ峯団地夏祭りが盛大に開催されました!


星ヶ峯団地夏祭りが盛大に開催されました!

8月1日の土曜日の午後5時から、東西両校区の公民館運営審議会が主催する星ヶ峯団地夏祭りが、タイヨー星ヶ峯店駐車場にてにぎやかに開催されました。  今回初めてケーブルテレビが協賛し、舞台、音響、照明を一手に引き受けて頂きました。 舞台は専用の大型トレーラーを持ち込むだけで一気に出来上がり、両サイドに大型のスピーカーが設置され、照明が多数取り付けられました。 広場の中央にはカメラと照明のやぐらが建ちました。MBC夏祭り会場を星ヶ峯にそのまま持ってきたという感じです。

   午後5時、祭りは中学校の吹奏楽部の演奏で始まりました。今回、かれらは可愛い浴衣姿で楽しい演奏を魅せてくれました。 7時からの町内会からの演芸は、今回は多様なジャンルのものが出演しました。以前は日舞やカラオケの少人数のものが多いようでしたが、 最近は大所帯のチームの出演が目立ちます。北町内会の子どもたちのマイケルジャクソンバリのモダンダンス(かわいかったです〜!) や昨年から登場の三味線や太鼓のさくら太鼓チーム、もちろんフラダンスチームもそうです。 特に注目を引いたのは今回初お目見えのエイサー太鼓の皆さんでした。 なにげに参加していただいたのですが、その迫力!演技力!全員が始終笑顔を絶やさず太鼓をたたき続けます。(このチームはプロだ!と感じました。)

 最後の花火と抽選会でお祭りもにぎやかに終わりました。人出ではゆうに2500人を越えたと思います。 大会関係者の方(私も含めてご苦労様でした。)


「はじめ整骨院」が山田町にオープンしました。


はじめ整骨院 七夕オープン

7月7日の七夕にあわせて、「はじめ整骨院」が山田町にオープンしました。 院長は釣り仲間(紫原の野村整骨院の院長)の娘婿さんです。おしどり夫婦が手に手を携えて、今回、ようやく独立開業の運びとなりました。 院長のはじめさんは30代になったばかりのスポーツマン!今はマリンスポーツにはまっているようです。 我が星峯中学校の卒業生で、きっと野球部に所属していました。(今度ちゃんと確かめておきます。) 何はともあれ、アウトドア派の好青年です。





 なかなか夕方時間がとれず、4日目にやっと行って来ました。山田のCOCOストアの隣にあって、駐車スペースも何台も停められ、 中にはいるとゆったりと装備が並べられています。新兵器はウオーターベッドのようです。仰向けに寝るとゆらりゆらりとボートに乗っているようです。 レザーシーツの下からジェット噴射が全身をもみほぐしてくれます。温泉のジェットのようで気持ちよかったですよ!

 星ヶ峯の坂を下りるとすぐそこです。皆さん一度行ってみて下さい。 地図も入れておきます。



星峯西の田植え 2009/6/20

星峯西の田植え 2009/6/20

6月20日(土)に星峯西校区成人学級の田植えがありました。田んぼは星ヶ峯の北方の茂頭にあります。 朝6時からPCを立ち上げてHPの更新をしていた小生にS氏から「早く来て写真撮影をしてくれ!」と催促の電話がありました。 時計を見ると、午前10時ちょうど。案内は午後1時からになっていると言うと「ちゃんと変更の電話したでしょう。」とのこと。 カメラを手に慌てて現場に向かいました。

 先週の土曜日はやはりこの田んぼで「泥んこ遊び」が開催されました。 子どもたちは田んぼのなかで泥まみれになりながら、ボール遊びに興じたり、ウナギつかみ取りをしました。 そのウナギをさばいて、お昼にはウナギの蒲焼きを田んぼの横の作業場で食べたのでした。 残念ながら小生は宮崎の妹宅に一泊で行っていたので参加できませんでしたが。 

40人ほどの参加者が、H氏が耕運機でならした田んぼに一斉に入り、田植えが始まりました。 この日の田植えは国際色豊か?で、H.Y.氏とS氏のお宅でホームステイしている二人の留学生も飛び入り参加してくれました。 半分もいかないうちに低学年の子どもたちは田植えに飽きたのか、疲れたのか泥水の中に何人も座り込んでしまいました。 素財にやってきた南日本新聞のカメラマンが鋭い視線でカメラを構えています。 私も負けていられません。質より量とデジカメのシャッターを押しまくりました。 100コマ程度撮ったところでシャッターが作動しなくなりました。メモリー不足?と思って家に飛んで帰り PCに取り込みましたがまだ動きません。何のことはありません。電池切れでした。あわてて数分充電して田んぼに走ってかえりました。 この後、バーべキューコンロに炭火をおこし焼き肉大会です。大きなは釜で10kg炊いたご飯が瞬く間に無くなりました。




尾鈴山と若山牧水

尾鈴山と若山牧水

6月13日の土曜日、仕事で高鍋に住んでいる妹の家を訪ねることになりました。 せっかくだからということで明和の妹夫婦と姪の綾ちゃんも連れていくことになりました。 朝10時前に明和に迎えに行き出発、そのまま高速に乗りました。なんと言っても高速料金は1000円! お天気は上々! 気持ちのいいドライブです。 あっという間に宮崎の清武インターに着いてしまいました。清武のインターから左に折れ高速は西都まで続きます。ここは初めて走る道です。 高鍋の妹が「もうすぐ高鍋まで開通するよ。」と言っていました。  



   12時前に西都原古墳に到着。広々とした公園の芝生の上で古代の王墓を見ながらお弁当を広げました。 お腹の虫がおさまったところで考古博物館に入ってみました。2003年に新装なった新しい博物館です。 何年か前、天皇陛下も御幸されたという由緒正しい施設です。嬉しいことに入場料無料!信じられません! 受付のきれいなお嬢さんに「ホントに無料なの?どうして?」と何度も聞き直しました。ただなのに館内案内のパンフもくれました。

 広い展示室には、色々な考古学上貴重な資料が満載されていましたが、この日の私の頭はかなり疲れていて、総て上滑りしてしまい余り頭に入ってきません。銅鏡の所ではしばらく立ち止まって解説文を細かく読んでいましたが、そのほかは全く説明文が頭に入りませんでした。 まあこの頃よくあることなのですが!それでもまあ古代南九州の栄華を少しくイメージできたかも知れません。閲覧に疲れたので3階の展望レストランに上がり、 コーヒーを飲みながら数多くの大小の古墳群の点在する公園を見渡しました。何故か敷地のまわりにはタバコの葉が広く栽培されていました。

秋になったら何万本ものコスモスが咲きそろうはずなのですが。今年の秋にもう一度ここに来ることになっています。 その時はきっとコスモスを楽しめると思います。野外ではフォークコンサートが開催されていて地元宮崎のことをテーマにした不思議な内容の歌が流れていました。 しばらくみんなで聞いてみたいなと思いましたが、高鍋の妹が待ちかねていると思い古墳公園を後にしました。



 翌日の観光のメインは尾鈴山と牧水です。夕べ酒豪の妹の旦那と焼酎をつきあって飲んだ為かなりだるい朝のお目覚めです。 女性陣の準備を待って、10時にようやく出発できました。

第一の目的地は尾鈴山です。1400m程度の低い山ですが、ここは尾鈴山の豊富な湧水が流れ出てつくる大小の瀑布群があることで有名です。 全部巡ると丸1日かかりそうで、今回は一番楽な「矢研の滝」一つに絞りました。 都濃から国道10号線を左に折れ、狭い登山道を対向車に注意しながら20分ぐらい走るとキャンプ場があります。 そこに車を停め、5人でぞろぞろと遊歩道を歩き始めました。これが山頂登山なら覚悟の上で登り始めますが、 さほどアップダウンもない遊歩道がややしんどいです。昨夜の焼酎も少し残っています。

20分くらい歩くとようやく滝に着きました。しばらく雨もないのにかなりの水量があります。 近づくと滝のしぶきでカメラのレンズが濡れてしまいます。さわやかな冷気が辺り一帯を覆っています。 さすがに神武東征のいわくある大滝です!滝壺には小さな魚が泳いでいました。山女魚?油バヤ? 渓流の水はを手で掬うと冷たくてごくごくと飲んでみたくなります。キャンプ場の湧き水を持参のタンクに20gしっかり汲んできました。 この水で氷を作り、尾鈴山蒸留所の焼酎「山ねこ」のロックを飲むこと!これがこの旅の最大の目的なのですから!



 写真は焼酎「山ねこ」と「百年の孤独」です。残念ながら後者は飲んでしまって空っぽです。 黒木酒造の「百年の孤独」はアルコール度数40度の琥珀色の焼酎です。 スコッチでも入れておこうと思っています。この二つの焼酎は小生の愛読書「おいしんぼ」の漫画の中で紹介されていました。 是非、一度飲んでみたかったのでした。やはり尾鈴山の湧水が決め手なんですね! 時間があったら木城にある「山ねこ」の尾鈴山蒸留所まで足を伸ばして見たかったんですが次回に譲ります。黒木酒造は高鍋の町の中にありました。 古い昔ながらのたたずまいの酒蔵でした。この町には甲類の焼酎の得意な大手のタカラ酒造の工場もありましたよ!



滝を後にして、日向の東郷町にある若山牧水の生誕地に向かいました。 途中お昼になりましたので妹が作ってくれたお弁当を、美々津の海の公園で太平洋を見渡しながら食べました。 穏やかなお天気で眼下に釣り人が糸を垂れていました。ここから神武天皇が東征していったのですね!  

   日向から左に折れ、どんどん山の中に進んでいきました。2時頃ようやく牧水の生家に到着しました。昔生誕100年の時に一度だけ訪れたことがあります。 古い漆喰作りの家はこぎれいに手入れされていました。座敷には上がれませんが、台所には入ることができます。 下は固められた粘土の土で、かまども昔ながらの土のかまどです。今はとっくに壊された祖母の家とそっくりでした。 目の前には大きな川が流れ、その先には尾鈴山の頂がそびえていました。ちょうど先の矢研の滝の裏側になりそうです。 

牧水記念館が新しく川の向かいに出来ていました。せっかくですのでみんなで中に入り、牧水の生い立ちのビデオを見たり、 展示物を鑑賞したりのんびり時を過ごしました。

両親が好きだった和歌

「幾山河 越えさりゆけば 淋しさのはてなむ國ぞ 今日も旅行く」

の掛け軸が掛けてありました。 一度模写してみようと、こっそりカメラに写しこんできました。念のために写真入りの和歌集も一冊購入してきました。





星峯東グランドゴルフ大会


星峯東グランドゴルフ大会2009年5月31日

5月最後の日曜日、校区社会福祉協議会(小生が所属)とあいご会の共催でグラウンドゴルフの大会を開催しました。 雲一つない五月晴れのお天気にめぐまれ、朝の8時45分から大会が始まりました。昨年から小学校のご好意で校庭を貸してもらっています。 簡単に、主だった方のあいさつやプレー上の注意があって、9時ちょうどにプレーが始まりました。

 当初、80人位の参加を予想していましたが、お母さん方の参加が多く、また校長先生や教頭先生の飛び入り参加もあり、 100人近くに膨れ上がってしまいました。この大会は、常日頃、グランドゴルフにいそしんでいる地域の諸先輩方に指導者になってもらい、 小学校のあいご会で各町内から5名ほど子どもたちを募ってもらい、当然、引率のお母さん方にもプレーをしてもらうという、 いわゆる3世代交流型の大会です。誰でも、初めての方でもプレーできるという手軽さがすごく楽しいスポーツです。

 いつもだったらカメラを片手にみんなの表情を追っかけているのですが、クラブ(ゴルフで言えばパター)を手にするとそれどころではありません。 小生もメンバーに入れてもらって18ホールフルラウンドです!何とかしてアンダーパーでまわらなくてはと意気込んでボールをひっぱたきます。 しょっぱなからホールインワンが出て小生は有頂天でした。スコアは2ラウンドで19と24の43(5アンダー?)の好スコア?でした! 残念ながら大人は順位戦は無かったので順位は分かりませんがベスト10に入れそうでした。(笑)



熊本城と石橋群

熊本城と石橋群

5月6日連休の最後の日、家内と妹夫婦の4人で熊本に行きました。 末っ子が連休はアルバイトで忙しいというので、ETCも車に取り付けたことですし、それではこちらから出向いて行こうかという訳です。 家族旅行で私の車を借りて佐賀の呼子までやりいかのお造りを食べに行った妹夫婦が、車を返しにやって来ました。 この話をすると、なんとつて行くというのです。
 当初の目的は、熊本城本丸御殿見物と末っ子のアルバイト先のメキシコ料理専門店「プラサ・デル・ソル」でディナーを食べることでした。 妹が私の部屋に貼ってあった矢部の通潤橋の写真を見て興味を示したので、午前中は途中で松橋で高速を降りて、少し時間をかけて 美里町(旧砥用町)や山都町(旧矢部町)の石橋群を散策してみることにしました。

         
  <緑川流域の石橋群と林七>

  熊本市の南部を流れる一級河川緑川流域には80基を越える石橋群が残っています。 ここの石橋群は、主に八代の東陽に基盤を置く創始者の藤原林七や息子の丈八、娘婿の岩永三五郎、孫の橋本勘五郎たちの手によるものです。 岩永三五郎は、特に鹿児島の人間にとっては、西田橋などの五大石橋を造った事で有名な方ですからよくご存じのことと思います。 

 創始者の藤原林七の逸話は面白いですよ!江戸後期、長崎奉行所に勤務していた彼はアーチ型石橋の眼鏡橋を見て感動します。 そして自分も造ってみたいと強く思います。 この長崎の眼鏡橋は中国から伝わった技法で造られたのでしょうが、当時はヨーロッパの石橋造りの技術も入り込んでいたと思われます。 アーチ型石橋に興味を持った林七は、外国から来た人たちにその技術に関して根ほり葉ほり聞こうとしました。 ところが鎖国の状態であった当時、このことは法に触れる行為でした。見とがめられて林七は八代に逃げ込みます。 しばらくじっとしていた林七でしたが、この地で手探りの状態でアーチ型石橋の作成に取り組み始めるのです。 そんな林七の周りに石工たちが集まってきました。この林七一派によって緑川流域に石橋がどんどん出来ていきました。 試行錯誤の中、彼らはどんどん技術を高めていきました。こうして日本の中でも優れて秀でた石工の技術者集団が育っていきました。

          
<もともと肥後の国は土木技術が高かった?>

 江戸初期、加藤清正は熊本城を作るため、全国から優れた土木技術を持った人間を多く呼び寄せました。 この技術者たちの中にはお城完成の後も近隣の土木工事のため熊本に残った人々も多かったのです。 このようにもともと熊本は土木技術が高かったのでしょう。 特に林七が基盤とした八代は、全国でも名高い暴れ川”球磨川”が町の真ん中を流れています。 この地では、昔から高い土木技術が要求されてきました。優れた土木技術者が多くいたものと思われます。 林七の熱意と彼らが次第に結びついていったのでしょうか? 彼らの技術はは全国的にも認められ、 孫の橋本勘五郎は明治になって皇居の旧二重橋の建設にも携わりました。

       
 <石橋巡り>

  大分、前置きが長くなりました。6日朝8時に明和の妹夫婦を迎えに行って、伊敷から高速に乗りました。 ETCは初めての体験です。ゲートがうまく開くか!すごく心配です。1時間半後松橋インターに到着。 料金表示板で1,000円と確認して「よかった!」と高速を降りました。ここから国道218号線を東に向かいます。 15分くらい走るともう美里です。ここで二俣橋、年祢(としね)橋、小筵(こむしろ)橋を捜しました。 畑仕事をしていた年輩のご婦人に道を尋ねると、色々な事を話してくれます。「この橋は身投げがおおいんだ!」とか・・・・ 橋の欄干から下を覗くと、深い谷に身体が吸い込まれそうになります。 小筵橋で写真を撮っていると隣の家のご夫婦が話しかけてきて、色々橋のこと保存の問題などを話してくれました。

 一番上の写真は霊台橋です。石橋としては日本でも一級の大橋です。近くの岡に公園と見晴台がありそこから見下ろしました。 重厚な橋です。これまでの小さな橋には何となく反応の薄かった女たちもこのはしには感動したようです。 すぐ上流に鯉のぼりが川に渡してありました。

  なかなか主要目的地に着きません。ここを後にようやく矢部の通潤橋を目指します。もうそろそろお昼です。 おなかの虫が鳴き出しました。11時50分ようやく矢部の町に到着しました。 通潤橋の周りは一大公園となっており、園内に道の駅もあります。 この橋は渡る為のものではなく、近くの台地の灌漑のために掛けられた橋です。 北方の水源から引かれた水をサイフォンの原理を使って南の乾燥した台地に、広い谷を飛び越して水を運ぶ灌漑用水路なのです。 それにしてもなんと大がかりな空中土管でしょうか!ちなみにうちの妹夫婦は水道屋です! 到着してすぐ観光バスが駐車場に入ってきました。もしかすると水の放水があるかも知れないと期待しました。 しばらく周りを見学していましたが15分くらい経って、ようやく放水が始まりました。やった! 男二人してカメラのシャッターを押しまくりました。
 熊本城の広場で食べるはずだった夕べ作ったお重のお弁当をここで広げて皆で食べました。 いいお天気です。(鹿児島は雨がふっていたそうです。)芝生の上を心地よい緑風が滑ってきます。 のんびりとした時間を過ごしたいのですが、まだ熊本城本丸御殿見物という課題が残っています。 みんなをせき立てて6キロ先にあるここの水源”円形分水工”を見た後、1時半過ぎに矢部を後にしました。

 
 <ようやく熊本城へ>

午後3時、熊本城に入城! 早速、本丸御殿に入りました。昨年春に新装なったこの御殿はまだ新築のにおいがします。 中に入ってまずは台所の”かまど”の大きさにびっくりしました。 4連の”はがま”を見て「お米を炊いたら200人くらいのご飯がいっぺんにたけるかしら?」と家内が声を上げます。 孟嘗君(もうしょうくん)の画はテレビの特集で見ましたがなんとも鮮やかなものです。 新しすぎて重厚さは無いのですが、きらきらと贅沢な空間です。消えてしまった信長が建てた安土城の中もかくやと想像する事ができます。 ストロボがたけないので写真はいまいちですが雰囲気だけ楽しんで下さい。

 <メキシコ料理専門店「プラサ・デル・ソル」>
 メキシコ料理専門店「プラサ・デル・ソル」は下通りのアーケードの中にあります。 熊大2年の息子が、もう結構長くアルバイトしています。親としてはどんなところで息子が働いているのか若干心配で、 一度顔を出してみたかったのですが、やっと実現しました。しかも妹夫婦まで一緒です。 ややピリ辛の味付けで、タコス料理が日本人の贅沢な口に合うかは分かりませんが、雰囲気は楽しめます。 店の中ではスペイン語が飛び交います。鶴田君が運転してくれるというので(無理矢理言わせた?)テキーラをみんなで飲んでみました。 女性陣はひとくち口に付けただけでグラスを私に廻してきます。50度のお酒です。当たり前かも!彼女らはカクテルを飲み始めました。 おかげで私が三杯も飲む羽目になりました。疲れも相まってもうふらふらです。 皆で結構飲んで食って飲み物のサービスをマスターがして下さったのもありましたが、5人分で1万円そこそこでした。 星ヶ峯と変わらない!




「子育てサロン」開所式

子育てサロンin星ヶ峯

星ヶ峯では毎月第4火曜日に星ヶ峯福祉館で「子育てサロン」を開催しています。 地域で乳飲み子を抱えたお母さんたちに少しでもお役に立てればと始めたする運動です。

4月28日は今年度の開所式がありました。私は通常は仕事で行けないのですが、事務局の一員ですし、一回だけでも参加しようと、 保険事務所の会議を昼からに変えてもらってカメラを持って参加しました。

10時になるともう子ども連れの若いお母さん方が大勢集まってきます。福祉館の和室が一杯になり、子どもたちが走り回っています。 最初ですので、総会資料などの説明や責任者の簡単なあいさつなどもありました。まあ子どもでごった返していますから式は簡単に済みました。

そうこうしているうちに市の社会福祉協議会の方から派遣された幼稚園の先生?が、色々なおもちゃや小道具、紙芝居など持参でやっと現れました。 感心したのは、今まで騒がしかった子どもたちがほんの一瞬ですがこの先生のタンバリンを使った一言でしーんとなったことです。 幼子たちの目がこの先生に集中しました。さすがー!!  

今日は開所式でしたので子どもたちの自己紹介と紙芝居と簡単なお遊びだけでしたが、これから毎月色々な遊びを取り入れていきます。 人形劇、七夕飾り作り、クリスマス会など色々です。 楽しそうですよ!3歳児までのお子さまをお持ちの保護者の方が対象です。 是非一度見に来て下さい。





3月14日広木駅開業!


3月14日広木駅開業!

朝から小雨模様のこの日でしたが、広木駅に着くともう大勢の人だかりでした。星ヶ峯の主だった先輩方はもうとっくに来られて来賓席に座っています。 広木駅開業式典にせっかく来賓として(私には滅多に無いことです)招待されたわけですから、堂々と受付に行って記念品をしっかりもらってきました。

星峯西校区の「茂頭棒踊り保存会」が出演するということでしたので、控えておられた一群に近づいていくとどうもメンバーが違います。 その中に顔なじみのK氏を見つけ聞くと、「広木虚無僧踊り保存会」の皆さんでした。話には聞いたことがあるのですが、 ちゃんと連綿と継続されて練習されているんですね! 星東小学校創立の時、演舞を披露されたことがあるそうです。もう20年以上も前のことらしいです。

 伊藤市長のご挨拶等の後テープカットが行われ、錦城幼稚園の子らによってくす玉が割られました。ようやく待ちに待った広木駅の開業です。

式典が終わり伊藤市長がこの日限りの一日駅長になって30分後に来る登り電車を待ちます。 広木駅は無人駅ですので初代一代で最後の駅長と言うことです。なかなか来ませんので諦めて仕事に戻ることにしました。 本当は電車が駅に停まるのを見たかったのですが!  











住民の皆さんの使用状況はどんなだろうとおもっていましたが、春休みに入り駅の前を車で走ると、 多分新中学生とおぼしき子どもたちがおめかしして三々五々駅から続く坂を上がってきます。 かわいいこと!電車使って友だちと町に遊びに(いえ図書館かもしれません!)行ったのでしょう。 こんな使われ方もしてるんだ、星ヶ峯も都会的になったなと変に感心しているこの頃です。 



2009 還暦&厄払い


還暦祝いと厄払い

1月25日の日曜日、星峯西成人学級のM氏が六十の大台になりました。 夕方4丁目の料理店「フライパン」に集まって、お祝いをすることになりました。

十四、五人ほど集まってのこじんまりとした会でした。多分赤い座布団もちゃんちゃんこも帽子も準備していないだろうと思い、 真っ赤なお祭りの法被と日の丸の扇子、「私が主役」のたすきを持っていきました。案の定誰も準備していませんでした。 帽子は朱色のネックウオーマーで代用しました! 本人いやがっていましたけど、無理矢理被ってもらいました。 みんな「赤じゃないじゃないか。」と苦言を呈していましたが、赤と朱なんて対して違わないですよね!

 みんなに色紙に寄せ書きしてもらって、お祝いに大好きなゴルフのパターなんか贈ってもらって、いいな! でも自分は還暦なんて来ない方がいいや!



 それから6日しか経たない1月31日、今度はやはり西の成人学級で厄払いがありました。 犠牲になったのは、子どもたちのソフトボールの面倒を見てくれているN氏。 西公民館に30人ほど集まって夕方から厄払いが始まりました。

 にわか仕立ての神主さんは、神官ではなくまるでダライラマのような訳の分からない格好でやってきました。 早速、祝詞を読み始めるのですが、あっちこっちでひっかかりながら読み上げています。 たしか前回は「雨で祝詞の墨が垂れて読めなくなった。」と言い訳していましたが、今回は雨も降りません。 少し目が悪くなって暗かったせいでしょう。でももう少し練習してくればいいのに!  

 この後、当人はハサミで服を着られ、榊で裸の背中を思い切りバチバチたたかれ、そこにたわしで塩を擦り込まれ、 最後は冷水を頭からぶっかけられ、滞りなく式典は終了いたしました。




2009 鬼火たき

本年も宜しくお願いいたします

1月10日(土)恒例の鬼火たきの行事が星ヶ峯の二つの小学校で開催されました。 この日、お昼頃は時々小雨がちらつく寒い日でした。 城西高校サッカーの大活躍のTV放送を見るのを途中で断念し、2時に東小学校に駆けつけました。もうみんな集まっていました。 スタッフには設計士、工務店の方などその道のプロが一杯いらして、手慣れたもので、あっという間に基礎が完成しました。 後はその中に、学校で剪定した枯れ枝や門松を放り込み、周りを小竹で覆います。1時間余りですっかり出来上がってしまいました。 ここが片づいた後西小学校はどうかと行ってみましたらここは始まったばかりです。成人学級の方々で作っていました。 竹の組み方も全く違っていました。 井形に竹を組んで行く方法で少し時間がかかっています。メインの芯になる竹は当日切りだしているそうです。 それでも4時半には出来上がり後は6時の同時点火を待つだけになりました。

 5時頃から子どもたちが集まり始めました。それぞれの町内会単位でブロックのコンロが設置されそこで火興しが始まります。 本当はやぐらを燃した後の熾き火を使うのでしょうが待っていられません。とりあえず炭に火を付けて置いて後でそれを入れます。 ここでお餅を焼いて子どもたちに振る舞います。  6時前に小学生と厄年の方に火を付けてもらいます。昼の雨はすっかり上がり心配された風もほとんどありません。 東の空から満月が挙がってきました。炎はあっという間に燃え上がり空とそれを見守る観衆の顔を赤く染めます。 今年も皆が健康でありますように! (p.s.炎の横に見える小さな白いシミはホントは満月です!)




指宿一日旅行 篤姫


篤姫を訪ねて

  12月4日の日曜日は恒例の星峯東社協の一日バス旅行でした。お天気は上々!総勢48名でいざ出発! 何せ私晴れ男で、6年前に始まったこの旅行で雨の記憶がございません。
 バスは8時ちょうどに星峯東小を出発し、車内でお昼ご飯の注文を取ったりしている間にもう今和泉に着いてしまいました。 指宿観光協会にお願いしたガイドさんと一緒に、今和泉家のお墓や豊玉姫神社、今和泉小学校の中の石の手水鉢等を見て回りました。 写真の手水鉢は思ったより大きな立派な物でした。
 今和泉島津家の敷地は小学校と指宿商業を合わした広さでかなり広いお屋敷だったと思いました。 篤姫が見たこの海岸からの桜島は丸みをおびた優しい形をしています。今日は大隅半島が間近にくっきり見えます。 この後、一行は指宿菜の花館の中の篤姫館に向かいました。 途中、左手に知林が島が見えます。潮が良ければ渡るつもりでしたが、残念ながら丁度満潮に当たり諦めざるをえません。

 昼食は山川駅の下の「くりや旅館」で名物のかつおのたたき定食をとりました。 たたきの量に文句はありませんが、1000円にしてでも、もうひと鉢付ければもうちょっと良いかな!と思います。 この後、山川ヘルシーランドの露天風呂や砂むし温泉にゆったりとつかりながら、海や対岸の大隅半島をぼんやりと眺めて過ごしました。 2時時間ほど温泉を楽しみ、せっかくだからとサツマイモ発祥の「地徳光神社」と太平洋戦争の慰霊碑のある「花瀬望比公園」などを見て回りました。 夕日の中にくっきりと開聞岳がそびえ、逆光の中にススキがとてもきれいでした。 


椎葉村の紅葉狩行


  11月16日の日曜日、習字同好会のメンバーの一人が広島に引っ越してしまうので、 お別れ遠足を兼ねて、宮崎県椎葉村に紅葉狩りに行く計画をたてました。
この日校区文化祭がありましたが、午後1時には後かたづけまで終わってしまいましたので、 あたふたと、皆を迎えに紫原に車を走らせました。皆を乗せ、2時半に鹿児島を出発。高速で一気に人吉まで飛ばしました。 3時半、人吉のジャスコで酒やフィルムを買い込み、ここから進路を東にとりました。 錦町、免田、多良木と進み、岐路の湯前に5時前に着きました。ここまでは至って順調でした。不土野峠経由だと後1時間余りです。 ところが「国道388号線は全面通行止め」とデカデカと表示があり、迷ったあげく西米良の村所から回り込むことにしました。 これが裏目に出て、行けどもいけどもつづら折りの山道を抜け出すことができません。山中でどっぷりと日が暮れてしまいました。 予定より1時間は遅れて午後7時、ようやく目的地の下椎葉に到着しました。途中、狸が何匹も車の前を横切り、イタチが立ってこちらを見つめるのを目撃しました。 しまいには下椎葉の入り口で、立派な角を持った鹿が人家前の道路にいて、車が近づいても全く逃げようとせずに、 我々をじっと見つめて出迎えてくれたのには少々驚きました。 午後7時20分、何とか無事に民宿「龍神館」にたどり着くことが出来ました。

 昨夜は料理自慢の民宿の奥さんの料理に舌鼓をうち、日本酒を2合ほど飲んだところで、開けた缶ビールをほとんど残し、あっという間に寝入ってしまいました。 おかげで4時過ぎから目が冴えてしまいました。夜が明けるのが待ち遠しく、明るくなるや外に飛び出して、秋色に染まった渓流沿いを散策してみました。 民宿は扇山の登山道入り口にありました。この山には随分前にしゃぐなげの花を見に登ったことがありました。
8時に朝食、9時には出発して、下椎葉の町中にある鶴富屋敷や民俗博物館など見学しました。

 10時30分、下椎葉を後にして国道265線を北に進路をとりました。次に目指すは十根川村です。耳川の支流十根川の渓谷沿いに国道が続きます。 以前と比べると雲泥の差で道路状況が良くなっています。ここ十根川村には重要文化財に指定されている高く積み上げられた石垣の屋敷群があります。 まるでちょっとした砦か山城のような立派なお屋敷が並んでいました。畑に大きな大きな柿の木が枝もたわわに実をつけていますが誰もちぎらないようです。 屋敷群の目の前のお社に、八村杉という大きな杉の巨木がありました。

この村をもう少し登っていったところに檜の巨木があるということで、10分ほど車で駆け上がりました。後ろに扇山の山の端が見えてき始めました。 大分登ってきたところに人家が何件かありました。金網の小屋があり、見ると猪が二匹飼われていました。これで見れる物は全部見た感じです。 狸、イタチ、鹿、猪!夕べの料理でも猪と鹿の肉が出たし、山女魚(ヤマメ)も食べました!
 その人家を右に折れたところにこの木が厳然とそびえていました。なんとも不思議な出で立ちでそびえています。きっと神様が宿っています! 人家のそばで、またお昼でなかったら怖くて逃げ出したくなりそうでした。











 

   十根川をもう少し上っていくと仲塔というところがあり、ここの渓谷の紅葉は見事でした。でも先を急ぐので車を走らせながらの紅葉狩りでした。 ここからしばらく行くと国見トンネルをくぐります。このトンネルのおかげであっという間に五ヶ瀬に着くことができます。 昔は急峻な国見峠をおっかなびっくり進まなければなりませんでした。
 このあと「えのはの里」に行くつもりでしたが、気づかずに通り過ぎて、次のお目当ての白滝の入り口まで来てしまいました。 12時をまわっていましたが、お昼ご飯はしばらくお預けで、白滝まで登っていきました。 もう紅葉は散り始めていました。この辺りも11月初めがやはりピークのようです。ちょっとがっかりしてシャッターを押したので、楓にピントが合わずに 滝の水の流れに合ってしまいました。こういう写真は三脚でも付けてじっくり考えて撮るべきだったと後悔しています。 ぼけた写真をスキャナーで取り込んだ為一層ぼけてしまいました。





   白滝を後にして、今来た道を少し引き返して「えのはの里」で昼ご飯を食べました。昔、何度か来たことのある食事処です。 山女魚を食べさせてくれます。割安な料金でちょっと贅沢な気分になれます。私は山女のいくら丼を食べました。1250円位でしたよ! 連れは1550円位の山女魚定食を食べていました。20cm以上の山女魚の塩焼きが二匹も乗っていました。 連れにはどんぶり物だけの私が惨めに見えたらしく山女を一匹恵んでくれました。

  かなり遠回りになってしまいましたが、矢部の(山都町に町名変更?)通潤橋まで足を伸ばしました。今度知ったのですがこの橋は人が渡るための橋ではなくて、 灌漑用の水を通す橋です。もちろん人も渡ります。下から見上げると荘厳そのものです。記念写真を撮って帰ろうとしていたら、観光バスが一台駐車場に入ってきて、 橋の真ん中から突然水が噴き出して落ちてきました。慌てて駆け戻り、シャッターを無我夢中で押し続けました。
松橋から高速に乗り帰路につきました。高速を走ること2時間余り、ようやく鹿児島に帰り着きました。


星峯西校区の成人学級の田植


  6月に田植えした星峯西校区の成人学級の田んぼでは、稲穂も垂れて黄金色に輝いています。 10月18日(土)に朝10時から小学生たちと稲刈りをしました。お天気も最高です。風はやや強い日でしたが、 谷間の狭い田んぼは無風状態で、温かい朝でした。周りの田んぼに目をやると、大方稲刈りは終わり、稲が柵に干されています。

 我々も鎌を持って「いざ稲刈りを!」と思ったのですが、小学生に少しまねごとをさせるだけで、後は手押しのコンバイン1台でどんどん稲が刈られ、 紐で縛られた稲の固まりが機械の外に放り出されていきます。早い早い!それでも全部刈り取るのに2時間くらいかかったでしょうか?

稲刈りの終了したスペースに木を組み孟宗竹を乗せ、それに刈り終えた稲を掛けていきます。長い3列の稲の柵が並びました。 こうして乾燥させ1週間後脱穀してようやくお米が出来上がります。

 慣れない作業と田んぼの土が軟らかいのとで、少し疲れてしまいました。年のせいもあるかな? 小学生は高学年は途中で飽きて少々さぼっていた子もいましたが、低学年の子は始めての体験が面白かったのか、飽きずに最後まで一生懸命働いていました。 思わず「疲れを知らない子どものように〜」と口ずさんでしまいましたよ! 

 来週の土曜日の午前中、この田んぼで脱穀して、お昼はそのお米を炊いて屋外で焼き肉大会をするそうです。 私も校区の文化祭の準備が無ければ参加したいのですが!




長崎・嬉野・有田


9月24日〜25日に私が所属す会の研修旅行で長崎・佐賀まで行ってきました。 曇り空のお天気でしたが、照らず降らずの旅行日和でした。初日は星ヶ峯を8時出発。高速で長崎ハウステンボスまでわき目もふらず直行! 3時間余りのハウステンボス見学であっというまに夕方になってしまいました。 韓国から修学旅行の学生さんが一杯来ていて、園内は「アンニョイ ハセヨ!」で満ちあふれていました。 中世のオランダをまねた大きな建物を見るだけでぐったりなってしまいました。かわいい遊覧船が運河に何十艘も浮かんでいました。 時間があったらやはりこれで九十九島(つくも)をくまなくまわらなきゃ行けませんね!

   この日の泊まりは佐賀嬉野温泉!食べきれないぐらいご馳走を食べて飲んで、夕方と早朝と2度温泉に入って肌もすべすべになりました。 ここの温泉は3大美人湯といわれるだけあって、男の肌も本当にすべすべになってしまいます。温泉に浸かっている間にそう感じました。 早朝5時に目が覚めて眠れないので、メタボにこれ以上なりたくなくて、雪駄借りて明けやらぬ嬉野の町を散策しました。 中規模の温泉旅館が沢山建っています。熊本・福岡が近いので立地も良く、繁盛しているのでしょう。それぞれの旅館がみんなこぎれいです。 慣れない雪駄で1時間くらいの散歩で足の裏にまめをこさえてしまいました。

 次の日は荒尾にある特別養老施設で研修があり、昼からはまた観光で焼き物の里有田まで足を伸ばしました。 でもまたテーマパークみたいな所に連れていかれました。私が幹事ならまおおと古びた歴史を感じさせる場所を選ぶのですが! ここで焼酎工場と焼き物の記念館を見物しました。結構試飲もしましたが、麦焼酎なんで余り進みません。 やっぱり芋がいい!まあそれでも43度の強い焼酎の小瓶を2本も買ってきてしまいました。夜一人でちびちびやっています。 それと椿の花を手書きで描いた大きめの湯飲みを自分のお土産に買って、抹茶と茶筅を近くのスーパーで捜してきて抹茶をそれで楽しんでいます。 作法も何も知りませんが!




「絆 歌謡、舞踊、ダンス、共催ショー」


暑い夏も峠を越し秋の気配を感じるこの頃です。秋と言えば芸術の秋!昨日(9月7日)市民文化ホールに 「絆 歌謡、舞踊、ダンス、共催ショー」なるものを見に行って来ました。

 実は我が町内会のメンバーが昨年結成した「桜ほのぼの太鼓」の諸君がこのオープニングに出演するということで、 愚妻と二人見に行くことになりました。また私の所属する総合保健センターの事務職の女性もフラメンコで出演しましたので、 是は何が何でも見に行かなければならなかったわけです。
4時開演、ショーの口上あいさつが終わると2番目に早速「桜ほのぼの太鼓」の登場です。 昨年の星ヶ峯東校区の文化祭を契機に立ち上げてからわずか一年足らずですが、メンバーも増えなかなかかっこいい演奏でした。 まだ小学生が主体ですから雄壮とまでは行きませんが、腕を上げました。今年から中学生3人の三味線も加わりました。

11月の我が町の文化祭にもまた参加してもらえそうです。益々腕を磨いて校区のみんなに感動を与えてもらえばと期待しています。



星ヶ峯団地夏祭り

 8月2日(土)は星ヶ峯団地の夏祭りが開催されました。朝から素晴らしいお天気で、雨の心配は全くなし! こんな事は久しぶりかもしれません。昨年も午後3時頃、激しいにわか雨に見舞われ開催が危ぶまれました。

 12時半に男性たちは西小学校に集合! 汗だくになりながら、テント10張りと机イスを2台の軽トラックでタイヨー駐車場に運び込み、皆でテントを設営していきます。 13時50分には大まかな設営はほとんど済んでしまいました。子どもたちが持ってくる灯籠を飾り付け、後は祭りの開始を待つばかりです。

午後5時、中学校から沢山の楽器が運び込まれ、吹奏楽部の演奏が始まりました。この時点でもう多くの観客が押しかけていました。 演奏は大体ジャズ風のアレンジで、聞いている我々の身体が勝手にスイングしてしまいます。 顧問の先生が替わるとと雰囲気ががらりと変わるようです。猛暑の中うっとりと聞き惚れていました。

 祭りは幼稚園・保育園のお遊戯、灯籠コンテスト、ゲームと続いていきます。 かき氷早喰い競争では小学校の高学年のお嬢さんたちが鮮やかな浴衣姿で登場し、観衆を沸かせました。 この後それぞれの町内会から日舞やフラダンスの艶やかな舞が続きました。

 星ヶ峯団地の夏祭りは手作りの夏祭りです。寄付ももらわないで全町内会からの浄財でまかなっています。 夜店はプロを入れないで、ここの住人のこれまた手作りのバザーです。 鹿児島市内でもこんなやり方は少ないようで、他地域で話題にもなっているようです。 もっともこの物価高でいろんな物が値上がりし運営が大変です!



星東校区のソフトバレーボール大会

星東校区のソフトバレーボール大会が6月22日に開催されました。もう2週間前のことです。夏祭りの準備とかで、 結構夜の打ち合わせに駆り出され、HPの更新がままなりません。ようやく今日、久しぶりの更新です。

 東校区には8つの町内会があり、この日それぞれの町内会からチームを組んで参加します。 男子リーグ、女子リーグ、混成リーグの3パートで熱戦が繰り広げられました。我が桜会町内会は女子の部で見事優勝しました。 もらった賞状は早速額に入れ集会所の一番目立つ所に飾りました。写真は我が町内会の女子チームのメンバーです。 本当にスタイルの良い美人揃いですが残念ながら、体育館の中で光が少々足りなくてぼんやり写っているのが残念です。

  小生は混成の部審議会チームで校長先生の替わりにプレーしました。1次リーグを1勝1敗で決勝トーナメントにあがりましたが、 ここで力つき優勝チームを苦しめながらも、年の差、実力の差が出て惜敗しました。 男子の部と混成の優勝は南町内会でした。





星峯西成人学級「泥んこ遊び」


梅雨にいよいよ突入です。6月は田植えの季節! 星峯西の成人学級の田植えがいよいよ始まります。 それに先立つ6月7日の土曜日、恒例のお田植え祭りの「泥んこ遊び」が五ヶ別府町茂頭の成人学級の田んぼで開催されました。 星峯西小学校の高学年を募って田んぼで泥んこ遊び、ウナギのつかみ取りをしたあと、バーベキュー大会となります。 今時のお洒落な小学生の高学年が、このときばかりは我を忘れ顔中泥んこです。お母さんが見たら悲鳴を上げそう! 元気な女の子はトラックターまで運転する始末です。これからの日本の食を支える農家の女将さん候補かな!



ウナギのつかみ取りで捕まえたウナギを、おじさんたちがさばいて(去年からプロが参加してすごく見事な蒲焼きです!) 炭火で焼いて、みんなで鰻丼を食べました。もちろんこれだけでは全然足りませんので、肉や野菜もたっぷり網焼きしました。 お米は薪と釜でで炊きました。電気炊飯器とは火力が違います。最高のたきあがりです。いつもと違った野趣味たっぷりの料理に きっと子どもたちも満足してくれたことと思います。
 21日の土曜日に田植えをします。これをごらんになった方是非ご参加下さい。最もアルバイト代はありませんが!





星ヶ峯ソフトボール大会の夏の大会

5月25日の日曜日、星ヶ峯ソフトボール大会の夏の大会が開催されました。 我がチーム「ヨクロテスワローズ(酔)」は今回はAリーグで優勝候補チームとバトルです。 まあ勝ち目の薄い勝負とは思いましたが、全力で戦い抜きました。 結局、2敗はしましたが、なかなか締まった良い試合は出来たつもりです。と思っているのは自分だけかもしれませんが! 優勝戦は「スリーフォーズ」と「竹若」チームとの対戦となったようです。「スリーフォーズ」が優勝しました。

 4時過ぎには全ての試合が終わり、表彰式に移ります。100名を越える大人数ですので、いつも野外に照明を設営し、 バーベキューコンロを頼んでの宴会が始まります。優勝カップになみなみと注がれたビールを飲み干す優勝チームに少々嫉妬です。 我がチームは秋はBリーグで戦います。ここで勝ちあがって来年はAリーグに戻って来るつもりです。





硫黄島釣行

硫黄島釣行
5月3日

5月の連休に紫原のN氏と妹の旦那のT氏の3人で硫黄島に行ってきました。魚はあんまり釣れませんでしたが、 俊寛さんの悲憤の島に一度行ってみたかったので、良い旅行になりました。3日・4日はお天気にも恵まれ、楽しい島見物が出来ましたよ! 露天風呂にも何度も入りました。







硫黄島の風景は二つに分かれます。東部は山の斜面から火山煙がいたるところから吹き出す不毛の岩山地帯。 硫黄岳が海に面する所では温泉が吹き出て海に流れ込んでいます。そこの海の色は褐色を基本とした様々な色に変化します。
 一方、島の西部は高台が牧草地帯となっており、牛と孔雀が一緒に暮らしています。のどかな牧場風景が広がります。 以下、詳しく書きつづりました。お時間があったらご覧下さい。






 午前9時30分、鹿児島南埠頭から「みしま丸」に乗り込みました。今回のメンバーはTOPページで紹介した3名です。 硫黄島は地図で見る限り、周囲15km弱の小さな島ですが、アップダウンもありそうです。 あちこちの地磯や露天風呂を巡るにはミニバイクがどうしても必要という判断で、費用が往復3400円と廉価だった事もあり、 バイク2台、折り畳みの自転車1台も船に積み込みました。ちなみに自転車は往復1500円でした。 さあ、紫原釣りバカクラブいざ出航!

お天気は上々、波もありません。船が出航してしばらくは、桜島やいつも行く舟釣りのポイントを甲板から捜していましたが、桜島を過ぎて 食堂に移動し、大漁を期して酒盛りを始めました。小生、29日に桜島沖で釣り上げたアジと小鯛で押し寿司を作ってきました。 これが3名の今日のお昼ご飯と酒の肴です。3名とも下戸でビールが進みません。こういう時は少しくらい飲める人間がメンバーに欲しいものです。 何とも盛り上がらないままに、2人は船室に帰って寝てしまいました。指宿沖や開聞岳の勇姿なんかどうでも良いようです。  

鹿児島港を出航してから3時間余り、ようやく竹島に到着、ここからは硫黄島が間近に見えます。 竹島では乗客や荷物の積み降ろしに20分余り掛かりました。そしてようやく出航!目的地まで後20分程度でしょうか? ウツン崎の岬周りにカモメたちが遊んでいます。ここを離れるとようやく硫黄島が目前に近づいてきました。 名にし負う海上火山の島です。山頂付近からは常時火山ガスが吹き出ています。 島の周りは流れ出た温泉で海面の色が変わっているのがわかります。


午後1時30分前にようやく硫黄港に入港。バイクと荷物を受け取ると、我々は1日目の宿泊場所である三島村開発総合センター内の キャンプ場に直行、野営の準備を始めました。喜界島カルデラの断崖の真下に芝生のスペースがあります。 そばには温水プールがあり、水道とトイレが完備されています。使用許可を取ろうとセンターや体育館に行ってみましたが、連休のせいか誰もいません。 勝手に使わせてもらいました。あとで気づいたのですが、港に三島村役場の支所がありました。 たぶんそこで使用許可をもらうのでしょう。温水プールはしばらく誰も使っていないようでした。

この島は歴史上では有名な島です。平安末期の平家全盛の時代、目に余る平家の横暴に抗い、俊寛、西光、藤原成親・成経父子、平康頼らが 俊寛の別荘の鹿ヶ谷で平家打倒の談合をしていたことが発覚します。西光は惨殺され、俊寛、平康頼、藤原成経の3人は鬼界ヶ島に流されます。 のちに俊寛を除く2人は赦されて都へ帰りますが、俊寛は赦されずに島に残されその地で亡くなります。この鬼界ヶ島が現在の硫黄島の事だそうです。 開発センターの入り口に「おれを置いていかないでくれ!」?と海に向かって叫ぶ俊寛の像が建っていました。


この島で中村勘三郎一座が嵐の中で俊寛を演じたのはみんなの記憶に残っている事と思います。平成八年五月の事でした。 ちょうど12年前まえのことでした。    

キャンプの準備が終わって、3時頃、T氏を一人残してバイクで島の釣り場を探しに出かけました。 まずは北部海岸。ここには坂本温泉と呼ばれる露天風呂があります。海岸はごろた石のころがる浅い海でした。 釣りは出来そうもありません。うねりもあり今日は北向きの海岸での釣りは無理なようです。左に崖沿いに歩いていくと釣り場があるようですが、 少し危険な崖があり、進むのを断念しました。下の写真はその坂本温泉です。ちょうど満潮にさしかかり、温泉内に海水が入り込み始め、 温泉から温水プールに様変わりしていく所でした。お湯の温度はかなり熱かったです。入浴する時間が無いので足湯で我慢しました。 すっと疲れがとれたようでしたよ!



坂本温泉です。地元の方には東温泉より効能があると人気のようです。













ここでしばし足湯を楽しみました。船旅で少し疲れた足にとても心地よかったです。













旅人に人気の東温泉です。岩風呂が3段に作られ、一番上は熱湯です。2番目もかなり熱く、我慢すれば何とか入れました。 3番目は普通の温度です。湯舟につかると東シナ海と一体になれます。










東温泉の近くで夕方から釣りを始めました。小生の竿には大きなアタリが一度だけあり, それをばらしてからはほとんどアタリがありません。 N氏は手前で竿1本のウキ下で、何度もウキが沈みました。ほとんどはキロ級のイスズミです。 日が暮れてからはホシタルミの30cm級を5枚あげました。









午後9時頃やっとテントにたどり着き、それから夕食の準備です。釣ったホシタルミをN氏からもらい受けお刺身を作りました。 無洗米とインスタントのみそ汁と缶詰と油で焼いた残り餌のキビナゴで簡単に夕食が出来上がりました。最近はキャンプも手軽です。 これでやっと一日目が終わりました。









5月4日
 午前4時、まだ寝足りなさそうな2人を起こしてモーニングコーヒーをたててあげました。(インスタントではありませんよ!)
5時には釣り場を捜してN氏とキャンプ地をバイクで出発。色々捜してみましたが、適当な場所が見つからず、結局昨日の場所で釣り始めました。 昨夕のように、小生の竿には全く反応がありません。一方N氏はイスズミとホシタルミの子が時々掛かってきます。 いい加減しびれを切らし、N氏と別れ、硫黄港の左先端に行きました。T氏とばったり会い、彼も連れていきました。 でもここでもアタリは1度だけ、大きめのムロアジを一匹だけゲット!みんなのお昼ご飯のお刺身になりました。 恋人岬が目前に広がり、なかなかのシチュエーションです。なんで釣れないんだろー?

この日、釣りはさっさとやめて、硫黄島観光の時間にしました。色々な言い伝えのある島で話題には事欠きません。 まずは件の俊寛堂を訪ねてみました。港から3キロほど北に入ったところにそれはありました。 道路からはずれ、苔むした狭い通路を300mほど下ると竹で編んだお堂がありました。 方丈記の鴨長明のお堂もこれほどかと伺わせる小さな祠です。華麗な京の都に済んでいた高僧にとって何とも哀れなたたずまいでしょう! ここで嘆き死んでいった俊寛を想い、思わず手を合わせてしまいました。 
 港の集落近くに安徳天皇とその側近たちのお墓がありました。三島村教育委員会が詳しい案内板を建てています。 歴史では壇ノ浦で亡くなっています。こういう遺跡は全国津々浦々見つけることが出来ます。 わが鹿児島にも、谷山本町に豊臣秀頼の立派なお墓が残っています。真田一族が島津義弘と一緒に連れて逃げてきたとも伝えられています。 信憑性はいざ知らず、夢とロマンがありますよね! 私的解釈をさせてもらえば、この島に落ち延びた平家の落人が、安徳天皇を偲んで彼の形見を埋め、お墓をたてたのかもしれません。

島の東端に小さな台地があり平家城跡と呼ばれています。先端にたどり着くと足下は断崖で、覗くと思わず足がすくみます。 城跡と呼ばれて、港の観光掲示板にも砦がかかれていますから、落人たちの砦が築かれ、ここから南下して来る船を見張っていたのでしょうか? 遙かに竹島が見渡せます。ここの海岸は穴之浜と呼ばれ、いたるところから温泉が吹き出て海を白緑色に染めています。 何とも不思議な海の色です。潮の干満や時刻と共に、様々に海の色合いが変わるそうです。




反対側に目を向けると、硫黄だけが目前にそびえています。高さこそ703mですが、海面から立ち上がり急峻な山容です。 山頂周りではいたるところから火山ガスが吹き出しています。当初は一人で登るつもりでしたが、 ガスマスクでも付けないと山頂に登るのは無理なようです。展望台への通路も通行止めになっていました。





東部の火山地帯をだいたい見終え、西部の牧草地帯に移動しました。まずは永良部崎通称恋人岬に向かいました。 途中が大きくくびれ赤い橋が架けられています。我々が野営したキャンプ場の真上に見えていた橋です。 ここからの左右の景色は圧巻でした。東の方に目をやると眼下に硫黄港薗先に稲村岳と硫黄だけが見渡せます。 港の中の海水は完全に褐色に染まっています。

 西の方には東シナ海が広がります。眼下には断崖の下は絶好の釣りポイントになっており、全国の太公望の垂唾の場所です。 釣り人を何組も見ることが出来、ちょうど船が迎えに来たところでした。東部と違って青々とした海が広がります。 もう少し進むと先端に展望台がありました。視程が良いと屋久島が目の前に見えるのですが、京は晴れてはいますが視程は悪く、 残念ながら屋久島を見ることは出来ませんでした。でも昨夕は東温泉から見ることが出来ましたよ! ここの周りは大名竹で覆われていました。



恋人岬に別れを告げ、村営の飛行場と城ヶ原牧場方面に足を伸ばしました。広々とした台地に牛が放牧されています。 バイクを走らせると大きな鳥らしき鳴き声がうるさいほどに聞こえてきます。犯人は孔雀でした。この島には野生の孔雀が沢山住んでいて、 一日中うるさく鳴いています。 あきれたことに牧場の牛になんの遠慮もなく近づき、彼らの餌をあさっています。 牛の方はそれをとがめようともしません。でも我々が近づくと一目散に逃げ出していきました。 なかなか写真に収まってくれません。それでもやっとワンカット撮せました。



 牧場を下ると大浦港という避難港がありました。バイクを止め階段を下り波打ち際まで行ってみました。 桜島の周りにも沢山ありますが、きっと大噴火が遭ったとき脱出するための避難港です。余り大きな船は接岸出来ませんが、 火山弾からは避けられそうな洞窟のような避難港でした。










ここが我々が二日目に停まった民宿「ガジュマル荘」です。近くにガジュマルの大きな木がありました。 10年ほど前「椎名誠」も停まったのだそうです。女将がそういっていました。証拠の写真もありました。











宿に早めに入り、休息をとりました。私は7時までぐっすり寝てしまいました。 残りの二人はまた東温泉に行ったようです。 夕食後、港に夜釣りに行ってみましたが、釣れたのは小さなウツボだけでした。N氏のリールが壊れ、さっさと引き上げました。 床につくと窓ががたがた揺れて南風が少し強くなったようです。明日は雨になりそうです。










最終日 5月5日


 目が覚めると民宿の窓の外は風と雨!早朝の釣りはあきらめました。朝食後、小雨になったので、 キャンプ場に置いてあった釣り具等を片づけるため外に出てみました。ガジュマロの木が雨に打たれています。それはそれで趣があります。 昨日までの晴天が、一転、荒天です。もっとも、これは折り込み済みでした。海がさほど荒れず、船の揺れがあまり無いのが、 せめてもの幸いというものです。昨年もその前も確か3日目は雨にたたられました。





昨日までカラカラだった芝生には水たまりが広がり、硫黄岳は雲に覆われて見えません。俊寛さんの銅像も淋しそうに濡れています。 カラスが俊寛像の頭に停まっています。このカラス一日目に我々の野営地に置いてあった食糧をかき回し、カップヌードル3個、 激辛のレトルトカレーを食べてしまった憎っくきカラスたちです。インスタントのみそ汁はこのままでは食べられないとわかったらしく、 袋だけ破って近くに置き去りにしてありました。  



午前10時、予定より少し遅れてみしま丸が入港してきました。我々はバイクと自転車をあわただしく積み込み乗船しました。 3日鹿児島を出るときは余り乗客は多く感じませんでしたが、やはり連休最後の便です。帰省していた方々が一挙に鹿児島に帰るため、 船内はごった返していました。







船は雨に煙る硫黄岳を後にして北へ向かいます。三島にまた何時来れるかわかりませんが、次来るときは是非、黒島まで足を伸ばしたいと思います。 硫黄島には「冒険ランド硫黄島」というバンガロウなどの整った鹿児島市のキャンプ場がありました。 後で聞いたのですが、一般の方も申し込めば使用できるそうです。硫黄島に行ってみたいとお思いの方、 案外手軽に秘境のキャンプが楽しめそうですよ!親子で楽しい思い出を作りませんか。






末っ子が熊本大学に入学しました。

末っ子が熊本大学に入学しました。


 私ごとですが、末っ子が熊大に受かりまして、29日大学寮に入寮しました。この日、今度就職の三男と三人で引っ越しです。 熊大の大学寮は町の中心を流れる白川の少し上流に登った所にありました。市街地から武蔵塚を通って阿蘇に向かう古い道路沿いにあります。 市街地の近くにしては静かな所でした。
 寮の上に公園が有り学生たちが声を張り上げて怒鳴っているので言ってみました。 今夕、寮主催の花見が有り、みんなで自己紹介の練習をしていたところでした。

 帰りに一人で川辺に降りて写真を撮りました。学生寮は白川の川向こうに静かなたたずまいです。 あちこちの桜は鹿児島よりずっと早くもう六七部咲きの様子です。下流の方の目をやると熊本の街が見渡せます。 今回は福岡よりも少し近いので、家内と時々は来れそうです。 









熊本大学が五高と呼ばれていた頃、夏目漱石がここで教鞭を執っていたのは有名な話ですが、 その若い奥様が心を病んでこの川で入水自殺未遂事件を起こしたのはこの辺でしょうか?







4月4日は熊本大学の入学式でした。家内にも時には晴れがましい場面を見せようと、熊本に連れていきました。 星中陸上で一緒だった同級生のS嬢も同じ薬学部で、会場の熊本県立劇場で彼女のお母さんとばったり会ったりというハプニングもありました。 式が滞り無く(あっさり)終わり、学生はオリエンテーリングとかで、時間つぶしに熊本城の桜を見物に行きました。 桜は満開で平日というのに花見の客でごった返していました。 新装なった熊本城の加藤清正公の御殿の大広間も見たかったのですが、公開は4月の半ば過ぎからとのこと!残念でした。

午後7時30分から町内会の役員会があるというのに、悪い癖が出てまっすぐ帰らずに天草経由で海ルートを帰ることにしました。 15年ぶりに天草五橋を渡りましたが、かなり観光整備され風景ががらりと変わっていました。 道の駅や牛深港のお土産店で海苔や魚の干物など結構買い込みました。天日干しなんでしょう!鹿児島のスーパーで買うよりかなり美味でしたよ! 長島では島外不出の島娘も一本買って帰りました。(飲みにおいで!)




メロディー橋の鉄琴を東小学校に移設

メロディー橋の鉄琴を東小学校に移設



星ヶ峯の中央公園横に歩道橋があります。この橋はそのまま1丁目に昇っていまして、 東小学校の子どもたちの通学路になっています。ここには大きな鉄琴が両サイドに取り付けられ、 たたくと「カラスなぜなくの」など2曲メロディーが奏でられていました。通称メロディー橋と呼ばれています。 ところが古くなり今度改修工事があり、この鉄琴がはずされてしまいました。 それを知ったおやじの会のメンバーが「いかにも惜しい!」とその鉄琴をもらい受け、 東小学校に取り付けることになりました。

3月16日(日)の午後五時、みんなに召集が掛かり、この鉄琴を小学校のプール横のコンクリート壁に取り付ける工事をしました。 鉄琴の鍵盤は2曲で100以上も有り、ボルトで固定されていました。それをはずし並べ替える事になりました。 一人でとなると一日仕事になりそうでしたが、大勢でわいわい言いながらやってしまうとあっという間に終了しました。 子どもたちきっと喜んでくれると思います。終了後、みんなで焼鳥屋にいって盛り上がったのはいわずもがなのことでしょう!




藤川天神に臥竜梅を見に行きました

藤川天神に臥竜梅を見に行きました

 2月11日(月)、薩摩川内市東郷町の藤川天神に行きました。暖かな春の陽気の中、習字同好会のいつものメンバーで 朝9時半に車を発進。西回り高速に乗り、川内の街をあっという間に通り過ぎ、10時40分頃には東郷町を走っていました。 町を左に折れると両サイドに紅梅が植えられて、そろそろ花を咲かせています。 このコースは2,3年前から県下一周駅伝のコースになりました。もうすぐ始まる駅伝で疲れた選手たちを和ましてくれそうです。


 町役場に電話して「やっと開花したばかりです。満開は16日以降でしょう。」と言われたのですが、みんなの都合が会わず、 今日になったわけです。でも行ってみるとちらほらと咲き始めています。 人出も結構多く、通路沿いの売店はそこそこ込んでいました。末っ子が大学入試なので合格祈願のお守りも買いました。 昨年末、太宰府天満宮のお守りも当然買ってきましたが、なんぼあっても良いだろとの、親心(親ばか?)です。 すぐ帰るのももったいないので、梅花の下に陣取って、持参したサンドイッチとコーヒーを食べながら花を楽しみました。 朝到着した時よりも梅の花の数がかなり増えているようです。

 この後、まっすぐ帰るのも芸がないので、宮之城をドライブして「観音滝公園」まで足を伸ばしました。 ここに大きな温泉施設があり、温泉に浸かってから帰ろうという魂胆です。ここで軽く食事をとり、その後温泉に入りました。 午後3時頃で男湯には人もなく大きな湯船も外の露天風呂も一人きりで占領できて、ゆったりとした気分を満喫しましたよ。  ところでこの辺りは広い梅園があちこちにあり、辺り一面花盛りでした。この辺は梅の産地なんだそうです。




菜の花マラソンサポーターチームに参加

菜の花マラソンサポーターチームに参加

新年の第2日曜日は指宿菜の花マラソンが開催されます。今年も全国から1万5千人を集めて大会が開催されました。 私も4年目になりますがボランティアとしてこの大会に参加しています。(もうランナーとしては無理ですから) 早朝5時に鹿児島市を発ち、1時間半かけて指宿陸上競技場に着くともう会場はごった返していて、駐車場に入るのに一苦労しました。  早速、競技場内に設けられた介護テントに入り患者を待ち受ける準備を始めました。 準備も終わらない内にテントの外には長蛇の列が出来ました。




  ここに来ていつも思うのですが、走る前から治療に来ます。無理に練習を重ねて来たせいでしょうが、 それにしてもこれから42キロ余り走れるのだろうかと、こちらが心配になります。走行している内にスタートの時間があっという間にやってきました。 1万5千人のランナーがスタートの位置に着き道路を埋め尽くしました。あさ9時号砲とともに一斉にスタートしていきました。 







しばらくして我々は、山川港の駅前の35キロ地点に移り、整骨院の先生たちと疲れたランナーたちの足のケアーをしてあげました。 「後7キロ!ゴールはもうちょっとですよ!」と励ましてマッサージやテーピングの簡単な治療をしてあげるのです。 まあ私の出来ることと言えば選手たちのふくらはぎにスプレーを吹きかけてあげることくらいでしたが! 親しい知り合いにも2人も会いました。4時間を割りそうなかなり早いペースで走っていましたよ!



  





社会福祉協議会の一日旅行 五木・人吉
社会福祉協議会の一日旅行 五木・人吉
12月2日の日曜日は恒例の東校区の社会福祉協議会の一日旅行でした。11月校区に回覧を回したら、思わぬ反響で、 たった4〜5日で55名になってしまいました。後から申し込まれた方はみんなお断りしなければならず、申し訳ないことをしました。 トップページで話したように、当日はお天気も上々!五木に向け定刻にバスは出発しました。 車中では五木の子守歌をみんなで歌いながら、川辺川の清流に喚声をあげながら、時間通りに10時ちょうどに五木に入りました。



 最初の訪問地は「やませみ資料館」でした。まずは五木のことなどよく知ろうという魂胆です。狭い道を苦労しながら駐車場に入り館内に入ると、 頼んでいたわけでも無いのですが、男の方がピタリと張り付いてくれて、五木の村のこと、ダムのこと、地質などのこと等々細かく説明しながら館内を案内して下さいました。 最後は20分の映画の上映もあり、ここで40分も過ごすことになりました。予定をオーバーしましたが、添乗員としては大いに助かりました。 みんな五木のことに大分詳しくなったようです。



ロッジ山小屋での昼食までにはもう少し時間があったので、中心部の頭地の「五木道の駅」にバスを付け、みんなで買い物をしました。 インターネットで調べた印象より随分こじんまりとした道の駅でした。 そば粉を買おうと探しましたが、100g500円以上だったのであきれて買うのをやめました。 あちこちに五木の子守歌のモニュメントがあり、みんな思い思いに記念写真を撮っていました。もちろんわたくしめも! すぐ近くに温泉もありました。 ダムの水の下に沈む所の家は取り壊され、高いところに家や学校が移され、新しい町が出来ていました。地元の方はダム御殿と言っていましたよ! 5年ぐらい前に通ったはずですが、そのころの面影は全く残っていません。





12時になりロッジ山小屋に移動し昼ご飯を食べました。メニューはヤマメの甘露煮、豆腐、山菜の煮染め、酢の物、おみそ汁にきびご飯という質素な料理でしたが、 みんな文句も言わず食べてくれました。ここの女将さんが子守に扮して、「正調五木の子守歌」を歌ってくれました。 見かけはまるで吉本興業でしたが、なかなかの美声でうら悲しい調べの正調を聞かせてくれました。テープレコーダを持っていかなかったのがくやまれます。



ロッジ山小屋の女将さんが、「この竹の川付近では良質の大理石が採れますよ!小さい石を見つけて記念にもって帰ったら。」とおっしゃるので、 みんなその気になって、川辺に下りて石を探しました。せせらぎの川底の石は確かに石灰岩が多く、とてもきれいな石です。 ただ石灰岩と大理石をどう見分けるのかわからないままに、小生はグレイと白のまだらな石を拾ってきました。 中には6〜7キロもしそうな大理石をバスに持ち込んだ強者もいましたよ!










星ヶ峯桜会町内会の敬老会


星ヶ峯桜会町内会の敬老会   

  9月17日は敬老の日でした。町内会の集会場で65人が集まり、お祝いをしました。前日からカラオケコンポや テレビのディスプレイ等の機材を持ち込み、音あわせや映像のチェックなどで大わらわ!
この日は台風の影響で海は大荒れ!本当は桜島沖で久しぶりに大アジを釣っているところでしたが、 中止になってちょうど良かったのかもしれません。 集会所の掃除やじゅうたんの買い出しと結構忙しかったです。

  
  当日は朝9時30分に集合して、担当の8人で飾り付けを済ませ、11時30の開演に集まる諸先輩方を待ちます。  「歌えや踊れや」とはこのことか!踊りの師匠もカラオケの先生もスタッフにいて、出演者は引く手あまた!何の苦労も入りません。 勝手に盛り上がってくれます。こちらは会の進行にほんの少し気を配るだけでした。 昼食時間、ビンゴゲームをしましたが、100円ショップの景品にもみんな喜んでもらいました。 飛び入りも入り、時間を少しオーバーして宴は3時前に終わりました。さあ次の行事は十五夜でーす。 





  九重連山へ山登り

九重連山へ山登り

   妹夫婦のところで雑談をしていた時のことです。15年前、そこの長男を連れて九重に山登りに行った時の話題になり、 聞きつけた妹の旦那が「この夏に行きたいよね!」という話になりました。半分冗談で聞き流していたのですが、8月4日の星ヶ峯の夏祭りが無事終わり、 翌日曜日の町内会の大掃除も済ませ、1時間ほど仮眠を取っていたら携帯電話が鳴りました。電話の向こうで「明日はどうなの?」と旦那の声です。 「しゃぁない!」疲れた身体にむち打って、旅の準備を始めました。
 
 月曜日、午前10時に鹿児島を出発。熊本までは良いお天気で、高速を下りて、街で夕食のバーベキューの材料を買い込みました。 阿蘇の外輪山にたどり着く頃、土砂降りの雨と雷雨に見舞われました。
入山を危ぶみながら、長者原登山口に午後3時到着。この頃は何とか雨は上がり、坊がつるの法華院温泉に「今から登る。」と電話を入れると「大丈夫!」とのこと。 4人は荷物をこしらえて、いざ久住へ!途中、雨に打たれ下りてくる何組かのパーティーに遭いました。
2時間後、やっとのことで雨ヶ池越えの峠に到着!7回目の登山で初めて見たのですが、このところの大雨で確かに池が出来ていました。


 夕暮れの午後6時には、法華院温泉のバンガローにどうにかたどり着きました。値段が高さに比べここの部屋の狭いのと、周りの手入れの悪さにぼやきながらも、 深山の温泉にゆったりとつかり、食事をし、ビールを飲み、花火で遊んでいたら、もうしっかりキャンプの気分でした。
 慣れない寝所でしょっちゅう眼がさめながら坊がつるの朝を迎えました。午前5時、バンガローの外に出ると三俣山にもう朝日がかかっていました。




坊がつるの朝は、昨日の雲も消え、大船山や平治岳の頂がくっきりと見えます。平日とあって、キャンプ場にはほとんどテントが見あたりません。 「さあ今から朝食を皆に取らせ、なるべく早い時間に出立だ!」と思うのですが、何せ山は初めての人間ばかりで、小生の気持ちが通じません。 5時にたたき起こしたのに、みんなだらだら行動で、坊がつるを後にした時はとっくに8時をまわっていました。



   写真は法華院温泉です。15年前よりだいぶ大きくきれいになっていました。温泉も広くて案外温かかったし(以前秋に訪れた時はぬるくて風邪をひきそうだった) 、洗濯物の乾燥室があったのは助かりました。ちゃんと缶ビールの自販機もありましたよ。 我々四名は1万円でバンガローを借りただけでしたが、ここの宿泊は1泊2食で7,500円だったかな?素泊まりもOKでした。
ロビーには山の写真や地図が飾られ、テーブルやイスも沢山置かれ、明日の山をどう攻略しようかとゆったりと考える事ができそうです。


  最初から予定の道をはずし、中岳へ直接登る、九重できっと一番きついルートに入り込んだようです。上れど登れど坂また坂です。 途中山腹づたいの道が崩れたらしく、岩がゴロゴロした沢登りのルートに導かれていました。 振り返ると、坊がつるの湿地帯が遙か下方に見られます。妹はこの辺でさすがにアップアップ!半ズボンの足は擦傷だらけです。 小さな滝があり、ここでしばらく小休止!足や手を冷たい谷川の水で洗いました。水温は16〜7度。長くは手足を入れておれません。
 この辺から霧が出始めました。(だからもっと早く登り始めたかったのです!) 山では日が高くなると、上昇気流が発生し雲が湧くんですよね!特に今回のように台風の周りで不安定な時はそうです!
 すぐそこに峠が見えるのですが、登り着いたと思ったらまだ先がありそしてまだ先がありの繰り返しでした。






沢を延々と登ること約2時間半、どうにか白口谷の沢を登り切り、中岳山頂のすぐ麓の峠に到着しました。 妹とその長男をしばらく休ませ、私とT氏は中岳に登りました。山頂は気温17度。風が強く長居は出来ません。 霧が濃く何の景色も見えませんません。早々に山頂を下りてしまいました。









この後、目的の久住山頂にみんなで登りました。山頂で凧を上げている方がいました。カメラを凧に取り付けて撮影していたそうです。 もっとも我々が到着した時はかなり霧が濃くなり、もうかたずけていました。 この日の山頂はほとんどガスがかかった状態で、時々霧が晴れて遠くが見える瞬間もありましたが、またすぐ霧の中に閉ざされました。 我々も長居はせず、早々に山頂を後にしました。
 皮肉なもので、もうそろそろ登山口にたどり着く午後2時過ぎには、晴れ間が多くなり、太陽が照りつけてきました。 先ほど下りてきた久住の山頂が、はっきり見えるようになってきました。





 帰りに、最近出来た日本で一番高い九重吊り橋と、滝廉太郎で有名な竹田の岡城趾を訪ねました。 夕暮れのお城跡は人気もなく、まさに荒城そのものでした。



おやじの会のみんなで鹿屋にキャンプに行きました

おやじの会のみんなで鹿屋にキャンプに行きました

 
   7月28日から29日まで、おやじの会のみんなで鹿屋にキャンプに行きましたよ!総勢32名でした。とても楽しかったですよ! あー良い文には形容詞は使っちゃだめだった!
 初日はお昼前にに海の家に着いて、定番のカレーライスでお昼をそこそこに済ませてカヌー遊びをしました。 楽しかったか楽しくなかったか写真で判断してください!でも炎天下の36.Cの太陽の下です。 子どもたちは30分ももたず、全員カヌーを捨てて海に飛び込みました。


日が落ちたとたん、キャンプ場はビヤガーデンに早変わり、インストラクターの海の家の先生たちが消えたとたん、缶ビールがあちこちでピシューッと音を立てます。 もちろんキャンプファイヤーとその儀式なんかありましたが、肝心のカメラが消えてしまって、その写真はありません。 やっと見つかったときは小生もみんなもかなり出来上がった後でした。 この夜、小生は翌朝5時起床してみんなのためにキスのお魚を32匹釣るミッションがあるため、10時に床につきました。


これはまだみんなが元気なときの写真!海の家から車で30分ほどで、高隈の中腹にある市営牧場に着きました。ここから1時間ほど歩くと白滝があります。 何も考えず導かれるままに、みんな牧場を通り過ぎ遊歩道に入り込みました。ところがこのパーティー、年齢構成もいろいろ、はたまた運動靴の方もいれば、 サンダル履きの方もいるという有様!結構ハードな山道を、無事に全員目的地に着いたのが不思議なくらい!もっとも小生滝の手前の難所でみんなのサポートにまわっているとき、 足下の石が動いてバランスを崩し、いやと言うほど岩に右脳をぶつけました。脳味噌が少し揺れました。でもぶつかった岩全体が厚い苔に 覆われており、 大事には至りませんでした。


  やっと目的の白滝に到着しました。落差60mの瀑布です。水量はさほど多くはありませんが、空から滝の水が降ってくる感があります。 水は冷たいし、天国です。1時間弱ここで涼を楽しみました。



「せっぺとべ」がにぎやかに開催

「せっぺとべ」がにぎやかに開催2007/6/10


 10日(日)の朝10時、星ヶ峯の北部の茂頭の田んぼに、小学生がなんと64名も集まって、 星西成人学級の恒例の「せっぺとべ」がにぎやかに開催されました。
 この日は早朝、町内会の掃除があって、慣れない草刈り機の作業で少々くたびれかけていたのですが、 現地にカメラを持って行ってみました。
   9時半に田んぼに着くとみんな耕運機で田んぼを耕し、水を張って「せっぺとべ」の方はもう準備万端! 別のチームは米を研いだり、キャベツを洗ったりして、お昼のバーベキューの準備をしていたので、そちらの加勢に加わりました。 キャベツを10個、洗って切りほどきました。大きなタマネギも15個ほど輪切りにし、ピーマンは何個切ったか覚えてもいません。

11時、子どもたちは裸足で田んぼに入り、いよいよ「せっぺとべ」の始まりです。 今回は泥水の中を20mほど走ってのフラッグ争奪戦でした。 この時点でもう子どもたちは泥んこ!子どもたちの跳ばす泥水がカメラをおそってきます。慌てて逃げ出す始末です。 みんな泥んこだらけになるのがいかにも嬉しそうです。今日は「きたなーい!」と目をむくママがだれもいません! 争奪戦が終了した後、しばらくボール遊びや泥かけなどしていました。田んぼの中を男の子も女の子も走り回っていました。


泥遊びに飽きた頃を見計らって、今度は本命のウナギつかみが始まりました。板で囲ったプールにウナギを放流し、 みんなでウナギを捕まえます。最初はウナギも元気でなかなか捕まりません。みんな必死でウナギを追いかけます。 顔は泥だらけで、誰が誰かも見分けがつかない位です。30分ほどかかって、放流した25匹のウナギをだいたい捕らえました。 さあ、これからウナギの蒲焼きでーす!昨年はこれからが大変だったんです。でもおなかをすかせた64名の子どもたちが待っています。 猶予はありません。


今年は電気でウナギを気絶させてからさばきました。非常に楽でした。がんがん炭の燃えるバーベキューコンロに網をかけ、ウナギを焼き始めました。 子どもたちは待ちきれない様子です。やっと蒲焼きが焼け、茶碗に盛ったご飯にウナギを載せタレをかけて子どもたちに給仕しました。 手際がのろいので長い列が出来てしまいました。



都城に隣接する山之口町の紫陽花公園は今花盛り

都城に隣接する山之口町の紫陽花公園は今花盛り


6月の第3日曜日は父の日。きっとうちではだれも祝ってなんかくれないんで、習字同好会のみんな(4名)と 都城の東隣の山之口町にある紫陽花公園に、紫陽花を愛でに出かけました。 朝9時、鹿児島インターから高速に乗り、一路都城に向かいます。加治木インターから国分道路で末吉インターまで一気に走ります。 末吉に10時30分、少し時間があったので、トイレ休憩も兼ね「末吉道の駅」に寄りました。ここの道の駅は少しレベルが高いようです。 ついついみんな、色々な物を買い込んでしまいました。私も”紫いも”の粉末を買ってしまいました。

ここから都城まで20分、都城の町から後10分も走ると、11時ちょうど、時間通りに山之口の紫陽花公園に到着しました。 このころまでは空は明るい曇り空!紫陽花を楽しむには最適なお天気です。我々は公園に入るや、早速、手持ちのお弁当を食べる東屋を見つけました。 花より団子!おにぎり、押し寿司、おかず類を板の間に所狭しと広げ、まずは腹ごしらえをしました。 満腹になってこれでやっと紫陽花の花が鮮やかに見えだしそうです。 私だけでなく、きっと他の3人もそうだと思いますよ!
 
山城の展望台に登り付く頃から、しとしと雨が降りだしました。紫陽花を見るときははこうでなくっちゃ!いよいよ雰囲気が盛り上がります。 日曜日とあって、なかなかの人手です。時に紫陽花に負けぬ色香の方も混じり、小生のカメラは、眼がたれ眼になるほどうれしがっています。   でもこの1カット、ねらって取ったのではありません。ちょっと弁解させてください。紫陽花を取っていたら、 ちょうどシャッターを押すタイミングで、突然、目の前に見目麗しい女性が現れたという訳です。 もちろん慌ててシャッターを押しましたけど!


この公園、26000本を越える紫陽花の株が植えられ、その数は年々増えているとのこと。九州一の紫陽花園になるのはさほど先のことではないようです。 写真でもおわかりのように色とりどりの紫陽花が植えられています。公園の入り口から山城のある山頂(60m程度?)までずっと紫陽花が植え込まれています。

 

紫陽花の種類もいっぱいあります。普通の青いアジサイ、白いアジサイ、がくアジサイ、ピンクのアジサイ一体何種類あるんでしょう。 珍しいアジサイを見つけてはパチパチシャッターを押しまくりましたよ。写真の白いがくアジサイは不思議な雰囲気を持っていました。まだまだ沢山ありましたが全部お見せできないのが残念です。

 

 
ところでこの日は紫陽花だけでは終わりません。実を言うと我々はここに紫陽花を見に来るのは2度目なんです。星ヶ峯専属ツアーコンダクターとしては、 このままみんなを「ああきれいだった。よかった!」で帰す訳にはいきませんでした。近隣に何かおもしろい物は無いかと色々インターネットで物色していたら、 見つかりました!山之口町に「人形の館」という記念館があって、ちょうどこの日、1年に4度しかない人形浄瑠璃の公演会が開催されるのを知りました。 演目は近松門左衛門の「出世景清」とあります。 みんなを無理矢理連れて「人形の館」へ、2時からの人形浄瑠璃の公演を見に向かいました。

浄瑠璃は涙あり、笑いありの内容でみんな感動していたようです。もっとも小生は、朝5時起きての長距離ドライブで少々お疲れぎみ! みんなには気づかれないようにしていましたが、少しウトウトしていました!  




新幹線の線路工事着々と進行2007/3/6(火)7(水)

3月6・7日 新幹線の線路工事着々と進行

 私の所属する保険事務所”総合保険センター”で、事務所主宰のの生保キャンペーンがありまして、どうしても第一生命の商品を一件成約しなければならなくなりました。 これが結構難しくて、なかなかお客様を見つけることが出来ません。しょうがないと腹をくくって、福岡の大学4年生の三男に生命保険に入ってもらうことになりました。 ちょっとだらしない話ですけどね!まあ、本来なら今度卒業して社会人になるはずで、生命保険の1本くらいあたりまえなのですが、 留年してしまってすでに5年生が決まっている身の上なのです。3月6日、彼を訪ねて鹿児島から福岡へと、家内と二人車を走らせました。

 川内までの高速道路が開通したというので、かなり遠回りなのですが”西回りの高速道路”を通ってみました。鹿児島インターから川内まであっという間です。 ただ、高速を下りてから次の田浦のインターまで、3号線をちんたら進まなければなりません。人吉までたどり着くのに3時間はかかったと思います。 少し疲れたので八代の町で少し休憩したら道に迷い、いつの間にか鏡方面に出てしまい、田園地帯に入り込んでしまいました。 先は急ぎませんし、結構こういうのって好きなんです。しばらく走ると新幹線の軌道の工事現場の横を走っていました。 熊本特産のい草の田んぼの中を架橋は北に営々と続いています。しばらくこの工事中の新幹線沿いを走ってみました。八代から宇土までほとんど基礎は出来上がっているようです。 もう熊本まですぐそこです。宇土の車両基地予定地までだいたい用地買収も終わっているようです。ただ熊本の街の近くはまだまだ手つかずのようです。 あと3年で開通の予定ですよね!

 7日は福岡からの帰りに菊水インターで高速を下りて玉名温泉によってみました。この辺でも着々と新幹線工事が進んでいるようです。 工事現場を2、3枚カメラに収めてきました。

 玉名の町に入り、旅行ガイドの雑誌に記載されていたおすすめの温泉をようやく見つけ、そこで40分ほど湯舟につかりました。 一人用の石をくりぬいたお風呂に飛び込むと、お湯がザーッとこぼれます。ちょっと贅沢な雰囲気です。見上げると青空が頭の上に広がります。 外気は少しひんやりとしていました。ここの温泉は泉質はわかりませんでしたが、肌に優しい、柔らかい癖のない泉質でした。 機会があったらまた寄ってみよう!

 この後高速に戻らず、有明海の海岸沿いを走ってみました。何度も有明海の干拓地に迷い込み、時間だけがどんどん過ぎていきます。少し焦ります。 どうにか幹線道を見つけ、河内町長崎鼻というところに出ました。道路から有明海と青ノリの養殖場と対岸には雲仙普賢岳が間近にみえます。 曇天で不知火海はやや暗い淋しい表情をしていました。もう少し進むとあの金峰山が左手に見えます。夏目漱石の小説「草枕」に出てくる有名な山です。 この山の向こうは熊本市の市街が広がっています。草枕に”なこいの温泉”とあるのはこの辺りなのでしょうか?

 このまま天草に渡って牛深から長島に出ようと思っていた私は、河内で漱石ゆかりの観光表示を見つけましたが、そのまま車を走らせました。 やっと三角・天草へのアクセス道路にでた時には時計は午後4時30分をさしていました。道路標示に天草まで70キロと出ています。 たぶん牛深までは2時間余りかかりそうです。牛深蔵之元間フェリーの最終時間に間に合うか心配です。 天草の夕日は残念ですがあきらめて、ここから八代へ引き返しました。  



      美味しい水を訪ねて(高隈山系編)2007/2/12(月)

2月12日(月)高隈山系の美味しい湧き水を探索

 2月12日(月)朝、”ひかり習字同好会”(仮称)のみんなで高隈山系の美味しい湧き水を探索に旅立ちました。とてもいい天気!

ひかり美容室の先生いわく、今日、東の方向で美味しい湧き水をお昼過ぎに飲んだら、きっといいことが起こるんだそうで、 それを信じて垂水方面に車を走らせました。桜島フェリーで桜島を通って垂水に向かいました。 第1の目的地は猿ヶ城渓谷の天然ラジウムの湧き水です。桜島はくっきり見え、南岳からは噴煙?蒸気?が立ち登っていました。

垂水に着き、港近くのそば屋で昼食をとり、近くのニシムタで大きなポリタンクを買い整え、いざ猿ヶ城渓谷へ! ところがところが、猿ヶ城温泉の看板には「奇跡の水ー20リットル1万円」と出ています。「これはインターネット等でちょと話題になりすぎたな!暴利だぁ〜」 (関係者の方ご免なさい)と言いながら、他に泉を探しました。ありました! でもここには車が3台並んでいて、それぞれ大きなポリタンクを10も20も持ってきて待っています。 これを待っていたら1時間も2時間もかかりそうで、割り込ましてもらって小さなペットボトルで一本だけ水を頂いてきました。 飲むと温泉の味がしました。ここの水質はラジウムが多く、健康に良いと大変評判なんだそうです! 今度は競争相手のいない平日の早朝に訪れなくては!

 せっかくポリタンクを買ったからにはこのままおめおめと帰れません。 垂水を後にして高峠を登り高隈山の裏側に(裏なんて言うと地元の方にしかられます。)東側に登って行きました。 途中、高峠の公園に寄りました。当然、まだツツジもなにも無い季節ですが、かろうじて菜の花が咲いていました。 少しだけ春の雰囲気です。
 大隅池で記念写真など取りました。ダム湖にはカヌーが何隻も浮かんでいました。 お天気が良いんで、水上をすいすい漕ぐカヌー野郎たちがとても楽しそうでした。

 高隈中学校の近くに名水があるそうです。何度かさまよいながらやっと「観音淵ー洞穴古石塔群」を見つけました。 頼りにしているのは10年以上前に出版された「鹿児島のおいしい水」という本ですが、最近バイパスが出来てすっかり道路が変わっていました。 私が素通りしてしまった道理です。さすがにここは誰も先客はいません。 小さな滝があり、その下の泉に設置された2本のパイプから清水がこんこんと湧き出ています。 早速、ポリタンクやペットボトルを一杯にしてトランクに積み込みました。

 左に階段があり、登っていくと洞窟があります。そんなに深くはないのですが、薄暗く、最初は少々背筋をぞくぞくさせながら入っていきました。 両サイドに石塔群が並んでいます。これもいっそう薄気味悪さを誘います。 昔、富山氏と肝属氏がこの近辺を競って開墾したらしく、当時の業績を忍んでの石塔群と書いてありました。 ずいぶん古くからの遺跡のようです。そういえば昔からこの高隈山系は修験道の道場として有名だったと聞いたことがあります。 石塔群の中に山伏の格好をした像がありました。

この水を夜焼酎でわって飲んでみました。気のせいか黒伊佐錦が伊佐美に変わったようで、甘い味がします。家内もそういいます。 他の人にも試飲してもらわなくては!





指宿菜の花マラソンにボランティアとして参加2007/1/14(日)

1月14日(日)指宿菜の花マラソンにボランティアとして参加

 1月14日指宿菜の花マラソンにボランティアとして参加してきました。釣り仲間の紫原の整骨院の野村先生たちが主宰している NPO法人日本柔道セラピスト・鹿児島は、鹿児島のマラソン大会の救護班として色々なマラソン大会に協力しています。 小生もなぜか菜の花マラソンだけはここ何年か呼び出され、受付や人員配置等のお手伝いをしています。

 当日は快晴、朝5時30分に鹿児島甲突橋あたりに集合し乗り合わせて出発しました。産業道路は平川出口でもう込みだし、早くも4回ほどの信号待ちでした。 指宿陸上競技場に7時をまわって到着すると、開場はもう人、人、ひとでごった返していました。

   早速、テントを探し、受付など配置して故障者の手当を始めます。今回は主にテーピングでした。受付には30名以上の列が常時出来ています。 「この人たちフルマラソン本当に完走できるのか?」とこちらが心配してしまいます。さあ、9時になりフルマラソンのランナーが一斉にスタートしていきました。 我々は開場と中間地点、30キロ地点に分かれます。小生はその人員配置の配送係です。中間地点にトップランナーが到着する頃を見計らって現地に行きました。

 中間地点ではする事もないので両手にコールドスプレーを持って、疲れたランナーの足に吹きかけて上げました。少しは効き目があるのでしょうか? 通りすぎていくランナーたちは様々な格好をしています。専門の駅伝ランナーのユニフォーム姿はもちろん多いのですが、ぬいぐるみを身につけたランナー(ちょっと今日は暑くて大変でしょう!) 野球チームのユニホーム、会社のお揃いのTシャツ等々・・・見ていて飽きません。

 5時間が経過し我々は中間地点を後にしてメイン開場に帰ってきました。開場では「ツマベニ太鼓」の子どもたちがにぎやかに太鼓を打ち鳴らし帰ってくるランナーたちを出迎えていました。 足はがくがくなはずですが、完走してくるランナーたち皆ニコニコ充実した表情をしていました。





     
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